水平線の彼方に( 上 )
「花穂、もういいよ。花瓶に生けて来て」

すっかり砂緒里のペース。こうなると、言う通りにしか動けない。

「う…うん…」

諦めつつ部屋を出た。
階段を下り、おばあちゃんに声をかけ、花瓶を借りる。
そのままつい話し込んじゃって、気づくと十分近く経っていた…。

(しまった…遅くなっちゃった…)


「ごめんね…つい話し込んで…」

ノックして入ると、二人の姿はとうになくて…。

「あれ…?砂緒里達は?」
「帰ったぞ。用があるからって」
「えっ!ウソッ!」

ショック…謀られた……。

急に緊張する。心なしか、花瓶を持つ手が震えた。

「それ、そこに置けば?」

ベッドの近くにある台を指差された。
言われた通りの場所へ置き、花瓶から手を離す。

「花穂、上手くなったな」

眺めながらノハラが素直に認めた。その言い方が優しくて、一瞬、ドキッとした。

「佐野さんの…指導がいいから…」

何故か顔が赤くなる。
ノハラの部屋に二人きり。この間の病室よりも気まずい雰囲気だ。

(どうしよ…)

立ったまま迷う。部屋の中をキョロキョロしていると、ノハラが椅子を指差した。

「あれにでも座れよ」

パソコンデスクの椅子。いつもノハラが使っているのみたいだ。

「うん…」

ベッドの側に持って来て腰掛けた。

(なに話せばいいんだろ…)

妙に構える。頭の中に、あの事故の事が渦巻いているから、話しだそうにも話せない。

「…身体の方、調子どう?」

とりあえず体調を聞く。お見舞いだから。

「別にどうもない。アバラ二本折って、足首にヒビいったくらいだから」

大した事なさそうに言う。コルセットに足首の包帯。痛々しそうなのに。

「ノハラが事故るなんて、余程ぼんやりしてたんだね」

毎年の異変のせい?とは、聞こうにも聞けない…。

「まぁな…朝早かったし…」

花市場に行く途中の出会い頭。避けるので精一杯だったらしい。

「いつも私のこと全然信用してないのに、立つ瀬ないね」
「全くだな」

少し笑う。やっといつもの調子が戻って来た。

「この間、ノハラに頼まれて水遣りに来たら、お母さんが手伝ってくれてね…」

かいつまんで説明した。

「すごく手際良くて驚いちゃった。あっという間に植物も息吹き返して…何の仕事してるの?」

「…植物園の園芸員…」

ブスッとしている。手伝ってもらったのが余程気に入らなかったらしい。

「どおりで…」

すごく納得できた。

「私、あの後温室の様子見に行けなくて…」
「大丈夫。ちゃんと世話してあった」

お母さんが…だよね。

「そう…良かった…」

(…後で様子見に行こう…)

心の中で決めて、窓辺に視線を移した。
レースのカーテン越しに反射する光の中、小さな鉢植えが置いてある。

「あれ…ガジュマル?」

立ち上がって側に行った。

「元気いいね」
「お前んとこのはどうだ?」

前に貰った苗のことを聞かれた。

「少し大きくなったよ。植物って楽しいね。きちんと成長してくれて…」

光の中、イキイキと枝を伸ばすガジュマルを見て、一人温室に佇んでいたノハラを思い出した。
あの時彼は、何を考えていたのか……。



「……ノハラに……」



囁くような声を出した。


「教えて欲しい事があるの…」


やっぱり口にした。
聞かずにはいる事なんて、とてもできないと思った。

意を決して振り向く。
事故で髪の短くなったノハラが、真面目な顔でこっちを見ていたーーー
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