嘘恋
「…サナが癌でさ。もう、そんなに長くない。」
「…だから会いにいくの?」
「…俺に会いたがってるんだ」
「なんで…」
癌だっていうことはわかったよ。
きっと、あたしが思う以上に大変なことが起きてるって。
自分が何よりも愛していた人が病気で命が危ないなら、心配だし支えてあげたいって思うよね。
行きたいよね。
その気持ちもわかる。
わかるけど。
今のあたしは黙って送り出せるほど大人じゃないよ。
どうして成瀬じゃなきゃいけないの?
成瀬にはあたしがいるじゃん。
もうサナさんの成瀬じゃないんだよ?
会いたがってるってなに?
それって、サナさんも成瀬に未練があるってこと?
…成瀬も成瀬じゃん。
サナさんの会いたいって一言で
あたしを置いて海外に行くんだ。
別れようって、簡単にあたしを突き放せるんだ。
あぁ、思い知る。
あたしよりサナさんに対する愛の方が断然大きかった。
頭の中がぐちゃぐちゃになって現実についていけない。
「もうあっちに行ったらここには戻ってこれないと思う」
「…なんで」
耳を塞ぎたくなる。
全部が急展開すぎて理解できないよ。
成瀬はあたしと会えなくなってもいいの?
嫌なのはあたしだけなの?
押し寄せる波はいつの間にか
あたしたちがいた足跡を消していた。
あたりは真っ暗で、あんなに明るかった月もすっぽりどこかへ消えてしまって
暗闇の中、波の音だけが響いている。
「なんでそんな大事なこと早く言ってくれなかったの?なんでいまさら…」
成瀬の足音が近づいてくる。
「ごめん…俺も俺なりに考えてた。でもさ、ほんとに迷っててなかなか答え出なくて遅くなった。…ホントにごめん」
イヴの夜の日。
『このまま答えを出さなかったらどうにかなると思ってる』
『きめらんねぇよ…』
悲しみを押し殺すような彼の呟きを聞いた。
成瀬がはじめてあたしに吐いた弱音。
その意味が、やっとわかったよ。
その前から、様子が変だったのも
このことで悩んでいたからか。
学校に来れなかった理由も、あたしと連絡をとらなかったのも
一人で考える時間が欲しかったから。
ムリに笑って、元気なふりして。
なんでもないとあたしを優しく抱きしめて。
…あぁ。
思い返せば心当たりなんてたくさんあったのに。
どうして気付いてあげられなかったんだろう。
あたしに言い出せなくて
一人でずっと悩んでたんだね。
成瀬の手があたしの手に触れる。
「…俺、ほんとにお前が好きだった。愛してた。…ホンキで想ってたっ」
胸が苦しい。
そんな泣きそうな顔しないでよ。
泣きたいのはあたしなんだから。
成瀬の言う全ては、すべて過去に向けた言葉。
『好き』じゃなくて
『好きだった』は
好きじゃないと同じなんだよ?
あたしと成瀬の間には境界線があって
先にその線を先に引いたのは彼。
今ここにある現実を
過去にしようとしているのは彼の意思だ。
「成瀬のばか。…ウソつき!」
ならどうして愛情をくれたの。
「結婚するって…言ってたじゃんかっ」
叶わない約束をしたの。
「約束したじゃん…っ」
「…ん」
「ヒドイよっ!こんな後になってから。あたしは成瀬のこと信じてたんだよっ!」
あっという間にすぎた時間。
初めは元カノを忘れるために付き合ったけど
だけど、それでも彼が少しずつ心を開いてれて確かにあたしは幸せだった。
彼から与えられてた愛は本物だと思った。
「…香奈っ」
もう…限界。
どれだけ振り回せば気がすむの。
成瀬の手をはらい、そのまま走り出した。
後ろであたしの名前を呼ぶ声がする。
それでも、振り返らずに。