Sweet Honey Baby
 あたしんち?


 うちの親は下町の小料理屋の店主であって、こんなところに顔を出すような大人物じゃなかった。


 が…。


 一也の視線の先、人と人の隙間から覗いた横顔に合点する。


 引っ張られるように手を取られて連れられた先。


 現在目下のあたしの両親……門倉の実母とその旦那さんがにこやかに出迎えてくれた。




 「お義父さん、お義母さん」




 あたしが呼びかけるよりよほどスムーズに一也が声をかけるのに、実母の旦那の悟さんが鷹揚に頷く。




 「やあ、久しぶりだね、一也君」

 「はい、ご無沙汰しております。その節は、改めてご挨拶もせずに失礼しました」

 「いや…急な話だったしね。逆に下の娘があんなことになって、本当にすまなかったと思ってるよ」




 下の娘…というのは、この人の実の娘であたしの異父妹。


 本来一也の婚約者だった子だ。


 どう言い訳して、このおかしな婚約者交代劇を説明したのかと思っていたら、




 「いえ、絢音さんのことは、お気の毒だと。その後体調は好転されたのですか?」

 「…うーん、元々虚弱なところのある子だったからね」




 言葉を濁しながら、ヒクヒクと唇の端が引き攣っているのがサイドからはよくわかる。


 知らない相手からすれば、無理をして微笑んでいるとかってに解釈されるだろうけど、無理は無理でも、ついた大嘘がバレないかという心配の方なんだろうな。


 しかし、一也。


 婚約者のあたしの名前でさえロクに覚えてなかったくせに、いつのまに絢音ちゃんの名前やら情報まで頭に入れてたんだ?


 おそるべし、財閥後継者の外面!


 こうして、こういう人たちは海千山千の魑魅魍魎渦巻く世界を泳いで渡ってゆくのだろう。




 「千聡さんも、元気だったかい?」




 いつの間に世間話は終わったのか、あたしの方へと悟さんが話を振ってくる。


 ついあたしには関係ないやと油断していたので、いきなりフられて何の話かと戸惑った。




 「財前さんのお邸で、戸惑うこととか大丈夫かい?」

 「…あ、はい、おかげさまで。その…一也さんも良くしてくれますし」




 いきなりベッドに引きずり込まれたことくらいしか思いつかないけど(いやいや…そっちのヨかったじゃないだろう)、本当は戸惑うことというより、迷惑かけてないかと聞きたいんだろうな。


 温厚そうなこの人は、門倉の家にいた時も特に邪険にするってこともなかったけど、やっぱり距離は感じてた。


 実際、この人、あたしのことどう思ってんだろうとは常々思っていたことだ。


 あからさまに疎ましそうなばあ様の反応は至極まっとうで、それに比べてこの人のやわやわとした受容的な態度はけっこう不気味だった。


 まさか、妻の婚前交渉で出来た娘を歓迎してるなんてことはないでしょう、普通。


 それはそうと。




 「ちーちゃん、財前さんのお邸で困ったこととか、大変だと思うことがあったらいつでも帰ってきていいんだからね」

 「……」

 「…万里子さん」




 さすがに、当の財前さんのお邸の家の人の前で、その言葉はマズイでしょう。


 実際、ピシッと空気がちょっと凍った気がした。


 もっとも、それはあたしや悟さんの気のせいかもしれなくって、当の一也の横顔はにこやかだった。


 …こういうところでは鉄面皮だからな、こいつ。


 にこやか仮面が鉄壁だというのは、付き合いの短いあたしでも、家とこの場とのギャップを見ていればすぐにわかった。


 それを後押しするように、実母…万里子さんの問いかけにも、余裕で断言する。




 「お義母さん、安心されてください。僕では至らぬところもあるかと思いますが、千聡さんのことは鋭意、僕がお守りしたいと思ってますから。何かありましたら、必ず僕の方からもご連絡させていだきますし、大丈夫です」




 どこら辺が大丈夫なんだかわからないけど、このセリフを見てみると、どうやら、「こんな女真っ平御免だ!熨斗つけてやるからすぐ持って帰れ!」という展開にはならないらしい。


 この窮屈な生活から解放されないと嘆かわしいんだか、ここで婚約破棄になると我が家への援助もうち切れれるからありがたいと安堵すればいいんだか、迷うところだけど、とりあえずは一也に合わせて、あたしもニッコリ笑う。




 「ええ」




 …なんだか、あたしまで腹の黒い古狸になった気がした。









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