Sweet Honey Baby
 なんだか、ここのところの一也はおかしい気がする。


 いや、別に元々奴がどんな男かなんて、あたしもよく知らないし、知り合ったのだってごく最近のことだ。


 けれど、なんか言いたいことがあるような微妙な顔であたしの顔をジッと見ていたかと思うと、目が合いそうになるとフッと視線を反らして、まるであたしから声をかけられるのを拒絶しているかのように挨拶もなくその場を立ち去ってしまう。


 それならそれで、あたしだって清々するって思うのに。


 ふて腐れたような顔の向こうの…傷ついた子供みたいに訴えかけてくる目が気になって、気になって、無視し続けることが難しい。




 「…なんなのよ、もう。言いたいことあるなら、言えつーのッ」




 苛立ちそのままに、手に持っていたドイツ語の教科書を投げ出して、もうやる気終了!とばかりにベッドへと大の字に転がる。


 ここのところ、語学の教師・Mrs.ジェファーソンとは上手くやっていた。


 あたしなりの真剣さが伝わっているのか、時には冗談にも笑ってくれるようになって、こうやって気分が乗らない時には自主学習に切り替えてくれたりもしてくれるようになった。


 …先生、裏切るわけにもいかないよね。


 今日のノルマはまだ半分しか進んでない。


 でも、なんだか目の前に、お子ちゃま婚約者の拗ねた顔がチラついて、少しもやる気が出なかった。


 …もういいや。今日はこのまま寝ちゃおう。


 明日そのぶん早起きして、頑張ればその方がきっと効率がいいに決まってる。


 何なのよ、もう、本当に。


 腹立ちが治まらない。


 勝手に近づいて、勝手に纏わりついて、そして今度はなんだかわからない理由で腹を立てて傍に寄って来ようとしない一也に、あたしはイラついていた。


 …別に寂しいわけじゃない。


 そんなはずないから。










 RRRRRRR、RRRRRRR、RRRRRRR


 半覚醒の意識の中に、携帯電話の電子音が入り込んでくる。


 …やだ、まだ起きたくない。


 寝るのが大好きなわりに目覚めはすっきりなはずのあたしが、目覚ましの音に顔を顰める。


 RRRRRRR、RRRRRRRR、RRRRRRR。


 ああ、そうだ。


 今日は早起きして、ドイツ語の課題を仕上げてしまわなきゃ。


 手に届く範囲においてあるはずの携帯電話を探って、液晶を確認すれば、まだ夜の22時だった。


 …え?




 「で、電話だッ」




 慌てて、受信をタップし、寝ぼけた声を叱咤する。


 一也?




 「か…」

 『……千聡か?』 




 電話の向こうの聞きなれた声に、口を開きかけたあたしの口が『か』の字に固まり、凍り付く。




 『千聡?』

 「…聞こえてるよ。お義父さん」
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