躊躇いと戸惑いの中で
「腹、減らないか?」
缶コーヒーを飲み終わり、さぁ、続き。とキーボードへ手を伸ばしかけた私を河野が食事に誘ってくれた。
確かに、夕方に少しお菓子をつまんだだけで、それから口にしたものといえば、煮詰まったコーヒーとたった今貰った缶コーヒーくらいのものだから、確実にお腹は減っている。
だけど、時間が時間だ。
こんな時間に食べ物を口にする勇気は、この年になるとなかなか持てないもの。
迷いつつも困った顔をしていたのだろう。
「大丈夫だよ。碓氷が少しくらい太ったって、気にならないって」
「あのねぇ。露骨過ぎ」
精悍な顔つきとは裏腹に、昔っからデリカシーがないのだ、この河野眞人という男は。
「河野が気にならなくても、私が気になるし。まだ、嫁入り前なんですけど」
「あれ? まだ結婚する気でいんの?」
「ちょっとー。それどういう意味よ」
「いやぁ。こんな会社にいたら、まず無理だろう」
「こんなって。社長に聞かれたら雷落ちるよ」
とは言ったものの、強く否めないのが事実。
新店オープンが決まれば、残業なんて当たり前。
店舗に至っては、帰社時間なんてあってないようなもの。
それでも、うまく立ち回っている人はいるのだから、その辺の能力というのもあるんだろうな。
私や彼の場合、ハイリスク・ハイリターンで動いてしまう。
というか、多分この仕事が嫌いじゃないんだと思う。
寧ろ、好きなんだ。
家に帰っても、一人の食事が待っているだけだし。
だったら、会社で仕事をして、何かをやっている。
会社に必要とされている、という実感を持てるほうがずっと安心する。
それに、平日に残業をしても、本社勤務は、土日祝日はしっかり休みをもらえるから、店舗とは違って少しばかり余裕があるのだ。
「で。何食う?」
食事を諦めていない河野が、私の机に手をついて顔を覗き込んできた。
どうやら、私が断らないのを見越しているらしい。
だったら。
「じゃあ。ビール」
「それ食いもんじゃねぇし」
PCの電源を落とし、ケラケラと笑う河野について私も会社を出た。