躊躇いと戸惑いの中で
「河野っ」
胸を押すようにして河野から離れようとすると、少しだけ力を緩めてくれた。
それでも、河野の胸の中にいることに変わりはなくて、私の心臓が騒ぎ出す。
河野にドキドキするなんて、ありえないよ。
なんなのよ、この状況はっ。
何に対して怒りを向けていいのか。
その怒りだって、本当に怒っているのかどうかもよく解らない。
ただ、今の状況をうまく飲みこめなくて、とにかく慌てふためいていた。
「俺だって、たまには冗談も言わないことだってあるんだよ」
胸の中にいる私の耳元へそう告げると、不意に河野の体が離れる。
その瞬間に、私の唇は河野に奪われていた。
触れた唇は強引で、私の頭を抱え込んだ河野は、シートに押し付けるようにして深く舌先を滑り込ませてきた。
「んんっ!」
何がどうなったのか、とにかく私はただ彼の胸を押して、離れようと必死だった。
河野っ!
声にならない叫びを上げ、必死に逃れようとしたけれど力の強さに敵わない。
強引に奪われる唇。
河野がよく吸っている煙草の味が、口の中に広がっていく。
やめてっ。
河野の胸に手を当て押しやりもがいていると、やっと開放してくれた。
乱れた呼吸で間近にある河野の顔を見ると、私の瞳を覗き込むように切ない表情を見せられる。
何でそんな目するのよ……。
わけの解らない怒りのような感情に駆られるけれど、なにをどうしていいのか判らなかった。
「碓氷……」
もう一度降りてくる唇を受け止められず、私は、ただ必死に車のドアを押し開け、マンションの中へ逃げるように駆け込んだ。