躊躇いと戸惑いの中で
「あのあと、河野さんとどこかへ行かれたんですか?」
「えっ!?」
乾君から出た名前に、心臓が止まるかと思った。
「ど、どこも行ってないよ。真っ直ぐ送ってもらっただけ」
応えながら、触れた唇や入り込んできた舌先の感触がリアルに甦り、体中が熱くなり動揺を隠せない。
ダメだ、重傷だ。
しばらく入院でもしなくちゃ、立ち直れない。
「碓氷さん?」
どこかいつもと調子の違う私を、乾君が訝しんでいる。
いけない、いけない。
いつもどおりにしなくちゃ、おかしいよね。
「乾君、今日は新店へ行ったりしないの?」
動揺を隠そうと、なんとかいつも通りの対応を試みてみた。
「今日も僕は居残りです。多分また残業になると思います」
「そうよね。この時期、残業なしなんて、無理よね。私も多分遅くなると思う」
はは、と変な笑いを浮かべる私に、乾君は相変わらず不思議そうな顔を向けたままだ。
そんな彼の口からこれ以上河野関係の質問が飛び出したら対応しきれないと、私はスタスタと早足で自席のあるフロアへと向かう。
乾君は、途中でPOPフロアへ足を向け、じゃあ。と片手を上げていってしまった。
私は、意味もなくうんうん。と頷き、乾君の姿がフロアの中に消えたのを機に大きく息を吐き出した。
ダメだ。
乾君に河野の名前を出されただけであんなに動揺するなんて、色々と調子が狂うよ。
こんなんで今河野に会ったりしたら、私どんな風になっちゃうんだろ。
河野に会ってしまう前に、ちょっと気合い入れよう。
フロアへ向けていた足を翻し、給湯室へ向かう。
このままじゃ、仕事にならないものね。
冷蔵庫に買い込んであるドリンク剤を手に取り、一気飲み。
「よしっ」
小さく気合を入れて、再び自席のあるフロアへ向かった。