躊躇いと戸惑いの中で
「やっぱりおかしいよ」
私の問いに対して、答になっていないじゃない。
私は、腕を組んで河野を見る。
河野の顔を探るように見ていたら、声のボリュームも下げずに余計なひと言を言われた。
「碓氷とキスしたからな」
「ちょっ、ちょっと。わざわざ口にしないでよ」
誰に聞かれているかもわからない、と私は回りをキョロキョロしてしまう。
「そんなに俺とキスしたことを知られたくないか」
「あのねぇ。何をそんなにトゲトゲしているのか知らないけど。そんなことを仕事場でべらべらしゃべるほうがおかしいでしょ」
憤慨している私に向かって、相変わらず真面目だな、と嘆息したように笑った。
「笑って済ませていいものならそうするから。ていうか、忘れたほうがいいでしょ?」
私は、河野の態度に呆れてそう告げた。
同僚との魔の刺したキスなんて、ペラペラ話して会社内に知れ渡るなんて、勘弁して欲しい。
そこに恋愛感情がないなら尚更だ。
「俺は、忘れるつもりはない」
「え?」
河野の返答に驚いていると、多分新店からだろうと思われる呼び出し音が河野の携帯から流れてきた。
驚いている私に構うことなく、かかってきた携帯を耳に当て、お疲れと挨拶をする河野は、私を置き去りにして倉庫のあるほうへと足を向ける。
背中を向けて立ち去る河野は、空いた片手を上にあげ、又なと言うようにスタスタと私から離れていった。
「なんなのよっ」
思わず声に出すと、誰もいない廊下に矛先のない憤りだけが置き去りにされていった。