躊躇いと戸惑いの中で


「碓氷も、罪な女だな」

私の言葉に、河野が溜息混じりにあきれ返っている。

「あいつ。お前のことが好きだぞ」
「ああ、うん。そうだね」

言われてつい、スルッと応えてしまった。

「ん? そうだねって、なんだよ。知ってたのか?」
知っていたというか。

最近、知らされたというか。
告白されたというか。
キスされちゃってます、はい。

河野に訊ねられながら、乾君からされたキスと、告げられた気持ちを思い出す。

確かに彼は、私に好意を抱いてくれているだろう。
だけど、それは気の迷いだと思うのよね。
こんなに年の離れた上司に本気になるなんて、ありえないもの。
きっと、同僚も居ない本社で、唯一優しく接する私に、卵から生まれて最初に見た相手的な感情を寄せているんだと思う。
ピヨピヨなんて、擦り寄ってきてくれるのも、きっと今だけのことよ。
仕事や環境に慣れれば気の合う人も現れるだろうし、こんな年増の女なんてお呼びじゃないでしょ。

「彼の気持ちは、知ってるよ。けど、本気じゃないでしょ。なんていうか、今だけの感情? 他に頼る相手もいないから、つい身近にいる私にそんな感情を抱いてしまっているというか、思い込んでるだけじゃないのかな」

私は、笑って流そうとした。
けれど、そんな私の態度が気にいらないというように、河野が口をへの字にする。
私の言い分では、納得できないというような顔つきだ。

「何をそんなにムキになってるのよ。相手は、新入社員で七つも年下だよ。私的なことでムキになって、仕事に影響を及ぼすような事は、慎んだほうがいいと思うけど」

少し前に二人で備品倉庫から出てきたときの乾君への態度について、私は河野を窘めた。

「まー、確かに。あの時は、大人気ない態度をとったと、あとから反省はした」
「反省したんだ」

私は、思わずぷっと噴出す。

だって、この河野が少し目を泳がせて、自分のしたことを後悔しているなんて、なかなか見られるものじゃない。


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