夫の顔
「ニューオータニまで」
「かしこまりました」
タクシーってなんて快適なのかしら。通勤もタクシーでしたいくらい。さあ、メイクを直してっと。お綺麗な妻で登場しないとね。ああ、また忘れるところだった。薬指にコレをしないと。カルティエのマリッジリング。今から私は『妻』だから。あれ? 渋滞?
「渋滞ですか?」
「事故みたいですね」
まあ、まだ時間はあるし。あ、電話。……ああ、また……
「もしもし」
「あー、マスミー?」
「何?」
「元気しとるだかぁ?」
「うん。お母さんは?」
「ちょっと体調わるうてねえ」
また……アレですか。
「そう、どないしたん」
「病院いこうおもとるんじゃけど、お金がのうて……」
はいはい。
「大変じゃね。明日にでも振り込んどくけえ。なんぼいるの」
「家賃もちょっとしんどおて」
「わかった。じゃあ、十万、いれとくけ」
「いつもわるいねえ」
「ええんよ。ほんなら、お大事にね」
なんて優しい娘なのかしら。あんたも幸せね、こんな『いい娘』がいて。って、ひと月に何回家賃払うの? 今月これで三回目だけど。どうせこれもってパチンコ行くんでしょう。ろくでもない親もいたもんね。ま、今の私には、解決する方法があるから。さくっとお金で解決。どうせ娘のこと、金づるとしか思ってないんだから、お互い様よね。
「お客さん、広島ですか」
え? ああ、びっくりした。
「ええ、出身は」
「私も広島なんですよ」
「へえ、そうなんですか」
どうでもいい。故郷の話など、したくない。私は故郷を捨てた。高校を出て二十二年、一度も帰っていない。親の顔も見ていない。時々こうやって、金の無心の電話がかかってくるだけ。下手に断って、押しかけられても困るから、次の日には振り込んであげるの。
「式、広島のお義母さん、来ないのか?」
「うん。いいの。代行とかあるじゃん。あれで適当に『両親』雇ってよ」
あんなのに来られるなんて絶対迷惑。あんな、薄汚くて、田舎臭くて、貧乏じみてて、下品で、最低なハハオヤ。
あ、また電話。
「おつかれさまです。タヤマです」
「おつかれさま。ノジマくん、どう?」
「落ち着いてます。実家に連絡したら、茨城にお姉さん夫婦がいるらしいんですよ。とりあえず、今日迎えに来てもらえることになりました」
でかした! さすがタヤマくん。って、そっか。何も送っていかなくても、迎えに来てもらえばよかったんだ。
「そう、よかった。ありがとう」
「こっちにくるのは九時か十時になるみたいなんですけどね。ノジマが、部長にどうしても会いたいから待ってるっていうんですよ」
えー、めんどくさい……
「わかった。えーとね、今からちょっと用があるのよ。そっちにいけるのは十時くらいかな。それでもいい?」
「いいと思いますよ」
「じゃあ、できるだけ早く行くから。ノジマくんのこと、よろしくね」
ふう。って、え! もうこんな時間! スマホの時刻表示は十九時二十分。
「運転手さん、ちょっと急いでくれない?」
「いやあ、全然動かないんですよ」
ええー! どうしよう……こっからだと、もう降りたほうがいいかな。
「ここからニューオータニまでどれくらい?」
「もうイチキロもないかなあ」
「どれくらいかかりそう?」
「動けばねえ。もう三分だけど」
メーターだけが、カチカチと上がっていく。もう、イライラしてきた! 運転手、のんびりしすぎ! ……あれ? この人……名前は……
『スギモトショウゴ』
「なんでや」
「他に好きな人ができたからって言ったじゃん」
「……サクラか」
「そうだよ」
「あんなヤツの何がええんじゃ!」
「あのさあ、その広島弁? もういい加減、やめなよ。ダッサイっていうか、ショウゴ、あんたダサイ」
「マスミ、お前、東京きて変わったの」
「変わるために東京に来たの。じゃあね」
広島での生活から抜け出したい一心で、奨学金を勝ち取り、東京の大学へ進学した。幼馴染のショウゴは、頼みもしないのに、勝手に東京についてきて、鉄工所に就職した。
私もショウゴも家が貧乏で、いつもガリガリに痩せてて、いつも汚い服を着て、いつも親に殴られていた。
東京に出てきた私は、一文無しといっても過言でなく、食べるものも、住むところもなく、ショウゴの住む社宅に住まわせてもらっていた。年頃の男女が一緒に住めば、自然とそういうことになるわけで、二十歳の年まで、私達は恋人同士だった。
ショウゴは優しくて、一緒にいると楽しくて、それなりに幸せな生活だったけど、いつまでも田舎臭いショウゴに、私は嫌気がさしつつあった。だって東京の女の子はみんなオシャレで、かっこいいカレシを連れていて、なんだか人前に二人で出るのが恥ずかしかった。
塾講師をしていたころ、ケイタに出会った。ケイタはお金持ちの家の次男で、ハイレベルな大学に通っている割には、ナンパな感じがするイケメンで、女の子たちはみんな彼を狙っていた。争奪戦には入っていなかった私だったけど、なぜかあの夜、ケイタは私に声をかける。未だに、なぜ私だったのかわからない。
「明日、花火見に行かない?」
「え?」
「隅田川の花火大会。行った事ある?」
「ない……です」
一緒に花火に行って、帰りの車の中でキスをした。都会の匂いのするケイタに私は夢中になる。ううん、彼のリッチな匂いに、私は夢中になった。私が好きになったのは、『サクラケイタ』ではなく、サクラケイタのもっている『お金』だった。
「オレのカノジョになりたいなら、イケテル女になれよ」
ケイタが求めるのは、見た目だけ。そう、見た目さえよければいい。それは簡単。学校もほとんど行かず、アルバイトに明け暮れ、ブランドの服を買いあさった。ファッション雑誌を読みあさり、ローンを組んでまで、流行アイテムを手に入れる。
あっという間に、私は『イケテル女』になった。なんのことはない。化粧をして、流行の服を着ていればいいのだから。
「つきあおうぜ」
ケイタを手に入れてしまえば、もうそれでいい。他に遊び相手はいるようだが、どうでもいい。私が一番なら、それでいい。だって、私の目的は、お金。あんたなんかに興味はない。
ショウゴにあっさり別れを告げ、ショウゴの部屋を出て、私は外で待っていたケイタのセルシオに乗り込んだ。駐車場には、ショウゴの軽トラが止まっていた。あんな乗り心地の悪い車、もう二度と乗らない。
寮の窓からは、ショウゴが悲しげな目で私を見つめていた。
バイバイ、ショウゴ。私はお金持ちになるの。アンタもがんばんなよ。
「かしこまりました」
タクシーってなんて快適なのかしら。通勤もタクシーでしたいくらい。さあ、メイクを直してっと。お綺麗な妻で登場しないとね。ああ、また忘れるところだった。薬指にコレをしないと。カルティエのマリッジリング。今から私は『妻』だから。あれ? 渋滞?
「渋滞ですか?」
「事故みたいですね」
まあ、まだ時間はあるし。あ、電話。……ああ、また……
「もしもし」
「あー、マスミー?」
「何?」
「元気しとるだかぁ?」
「うん。お母さんは?」
「ちょっと体調わるうてねえ」
また……アレですか。
「そう、どないしたん」
「病院いこうおもとるんじゃけど、お金がのうて……」
はいはい。
「大変じゃね。明日にでも振り込んどくけえ。なんぼいるの」
「家賃もちょっとしんどおて」
「わかった。じゃあ、十万、いれとくけ」
「いつもわるいねえ」
「ええんよ。ほんなら、お大事にね」
なんて優しい娘なのかしら。あんたも幸せね、こんな『いい娘』がいて。って、ひと月に何回家賃払うの? 今月これで三回目だけど。どうせこれもってパチンコ行くんでしょう。ろくでもない親もいたもんね。ま、今の私には、解決する方法があるから。さくっとお金で解決。どうせ娘のこと、金づるとしか思ってないんだから、お互い様よね。
「お客さん、広島ですか」
え? ああ、びっくりした。
「ええ、出身は」
「私も広島なんですよ」
「へえ、そうなんですか」
どうでもいい。故郷の話など、したくない。私は故郷を捨てた。高校を出て二十二年、一度も帰っていない。親の顔も見ていない。時々こうやって、金の無心の電話がかかってくるだけ。下手に断って、押しかけられても困るから、次の日には振り込んであげるの。
「式、広島のお義母さん、来ないのか?」
「うん。いいの。代行とかあるじゃん。あれで適当に『両親』雇ってよ」
あんなのに来られるなんて絶対迷惑。あんな、薄汚くて、田舎臭くて、貧乏じみてて、下品で、最低なハハオヤ。
あ、また電話。
「おつかれさまです。タヤマです」
「おつかれさま。ノジマくん、どう?」
「落ち着いてます。実家に連絡したら、茨城にお姉さん夫婦がいるらしいんですよ。とりあえず、今日迎えに来てもらえることになりました」
でかした! さすがタヤマくん。って、そっか。何も送っていかなくても、迎えに来てもらえばよかったんだ。
「そう、よかった。ありがとう」
「こっちにくるのは九時か十時になるみたいなんですけどね。ノジマが、部長にどうしても会いたいから待ってるっていうんですよ」
えー、めんどくさい……
「わかった。えーとね、今からちょっと用があるのよ。そっちにいけるのは十時くらいかな。それでもいい?」
「いいと思いますよ」
「じゃあ、できるだけ早く行くから。ノジマくんのこと、よろしくね」
ふう。って、え! もうこんな時間! スマホの時刻表示は十九時二十分。
「運転手さん、ちょっと急いでくれない?」
「いやあ、全然動かないんですよ」
ええー! どうしよう……こっからだと、もう降りたほうがいいかな。
「ここからニューオータニまでどれくらい?」
「もうイチキロもないかなあ」
「どれくらいかかりそう?」
「動けばねえ。もう三分だけど」
メーターだけが、カチカチと上がっていく。もう、イライラしてきた! 運転手、のんびりしすぎ! ……あれ? この人……名前は……
『スギモトショウゴ』
「なんでや」
「他に好きな人ができたからって言ったじゃん」
「……サクラか」
「そうだよ」
「あんなヤツの何がええんじゃ!」
「あのさあ、その広島弁? もういい加減、やめなよ。ダッサイっていうか、ショウゴ、あんたダサイ」
「マスミ、お前、東京きて変わったの」
「変わるために東京に来たの。じゃあね」
広島での生活から抜け出したい一心で、奨学金を勝ち取り、東京の大学へ進学した。幼馴染のショウゴは、頼みもしないのに、勝手に東京についてきて、鉄工所に就職した。
私もショウゴも家が貧乏で、いつもガリガリに痩せてて、いつも汚い服を着て、いつも親に殴られていた。
東京に出てきた私は、一文無しといっても過言でなく、食べるものも、住むところもなく、ショウゴの住む社宅に住まわせてもらっていた。年頃の男女が一緒に住めば、自然とそういうことになるわけで、二十歳の年まで、私達は恋人同士だった。
ショウゴは優しくて、一緒にいると楽しくて、それなりに幸せな生活だったけど、いつまでも田舎臭いショウゴに、私は嫌気がさしつつあった。だって東京の女の子はみんなオシャレで、かっこいいカレシを連れていて、なんだか人前に二人で出るのが恥ずかしかった。
塾講師をしていたころ、ケイタに出会った。ケイタはお金持ちの家の次男で、ハイレベルな大学に通っている割には、ナンパな感じがするイケメンで、女の子たちはみんな彼を狙っていた。争奪戦には入っていなかった私だったけど、なぜかあの夜、ケイタは私に声をかける。未だに、なぜ私だったのかわからない。
「明日、花火見に行かない?」
「え?」
「隅田川の花火大会。行った事ある?」
「ない……です」
一緒に花火に行って、帰りの車の中でキスをした。都会の匂いのするケイタに私は夢中になる。ううん、彼のリッチな匂いに、私は夢中になった。私が好きになったのは、『サクラケイタ』ではなく、サクラケイタのもっている『お金』だった。
「オレのカノジョになりたいなら、イケテル女になれよ」
ケイタが求めるのは、見た目だけ。そう、見た目さえよければいい。それは簡単。学校もほとんど行かず、アルバイトに明け暮れ、ブランドの服を買いあさった。ファッション雑誌を読みあさり、ローンを組んでまで、流行アイテムを手に入れる。
あっという間に、私は『イケテル女』になった。なんのことはない。化粧をして、流行の服を着ていればいいのだから。
「つきあおうぜ」
ケイタを手に入れてしまえば、もうそれでいい。他に遊び相手はいるようだが、どうでもいい。私が一番なら、それでいい。だって、私の目的は、お金。あんたなんかに興味はない。
ショウゴにあっさり別れを告げ、ショウゴの部屋を出て、私は外で待っていたケイタのセルシオに乗り込んだ。駐車場には、ショウゴの軽トラが止まっていた。あんな乗り心地の悪い車、もう二度と乗らない。
寮の窓からは、ショウゴが悲しげな目で私を見つめていた。
バイバイ、ショウゴ。私はお金持ちになるの。アンタもがんばんなよ。