孤高の貴公子・最高責任者の裏切り
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その日、休憩はおろか、食事を摂ることもできなかった。
いや、タッパーに入れたカレーを食べようと思えばいくらでもできたが、わざわざ休憩室まで行って食事を摂るなど時間がもったいなさすぎてできなかった。
未処理になっている作業が多すぎるし、マニュアルもよく分かっていない。
マニュアルを閉じるファイルもまだ取りに行けていないので、とりあえず、受付手順だけビニール紐で書類をまとめ、手本の通りに合わせていく。
ベテラン社員が多いので梱包手順などどこにも記されていない物がほとんどで、それぞれのメーカー専用の修理用紙や、送り状の種類など、分からないことだらけで最悪だ。
閉店時刻が来ると即カウンターを閉め、これから一昨日の修理品を出荷する作業に取り掛かるのかと思いきや、全員あっけなく退社した。
完全に滞納することに慣れきっている。
午前中にいたフランソワが夕方で帰宅してからは入力作業も誰もしていないところを見ると、彼女が休みの日は入力作業ができていないのかもしれない。
受付入力だけでなく、完了入力もしないと、結果的にユーザーには手渡せないので、結局先延ばしが続いてしまう。
これは、ダメだ……。
誰もいない作業室の中で、山瀬は蛍光灯を見上げて溜息をついた。この作業場にこそ掛け時計が必要だ。
腕時計の時刻は午後11時30分。何時頃、鍵を閉めるのだろう。その前にファイル……取りに行きそびれた。
そうこう考えていると、管理者のみに与えられているPHSが胸元で鳴った。
表示には『須藤マネージャー』と出ている。
山瀬は一度唾を飲んでから、
「はい」
と声を整えて出た。
『お疲れ様。ピッチを返しに来ていないところを見ると、まだ作業中かな? 何時に出られる?』
声は穏やかで優しそうだ。途端、孤高の貴公子は天使へと化していく。
「あっ、お疲れ様です! あの、何時頃まで開いていますか? 鍵閉める前まで作業したいのですが……」
『あそう。じゃあ鍵渡しとくよ』
「えっ!?」
ってことは、店内で1人!?
『僕のキーを渡しておく。おそらく後30分くらいしたら全サブマネージャーが帰るから。君が鍵をかけてくれるなら、僕は先に返るよ』
あっ、そういう……。
「あ、はい。分かりました」
『ただ、明日朝8時に開けてほしい。開けたらそのまま持っててくれればいいから。午後から僕が出社したら、取りに行く』
「あ、はい」
8時……めちゃめちゃ早いんですけど。
『そしたら、後10分くらいで鍵持って行くから』
「はい、分かりました」
電話を切ったものの、後30分でサブマネージャーが帰るんなら、そのタイミングで帰らないこともないんですけど!?
電話を切って再び作業を開始しようと一度水を飲んだところで、再びピッチが鳴った。今度は、鳴丘、と表示されている。
「もしもし、お疲れ様です」
今度はどうでもいいかと普通に出た。
『お疲れってゆーか。初めまして。なんか、マネージャーが鍵預けるって言ってんだけど』
軽そうな喋りそのものの、鼻に抜けるような声だ。
「あ、はい」
『あそう、じゃ了解』
「あっ、すみませんちょっとお尋ねしたいことがあるんですけど」
『はいはいどうぞ?』
「あの、ファイルが欲しいんですけど、備品室の物を頂くには誰に許可を得ればいいですか?」
『備品担当基本的に俺だから。いいよ。ファイル何冊?』
「15冊くらい欲しいです。それから、掛け時計も備品にありますか?」
『あるよ』
「はい、じゃあまた明日にでも取に行きます」
『いいよ。帰る時にそこ通るから持ってく』
「あ、すみませんありがとうございます!」
ファイルを取に行く手間が省けて非常に助かった。
そうこうしている間にガサガサと音がし、
「……随分片付いたね」
須藤マネージャーが顔を見せた。
その日、休憩はおろか、食事を摂ることもできなかった。
いや、タッパーに入れたカレーを食べようと思えばいくらでもできたが、わざわざ休憩室まで行って食事を摂るなど時間がもったいなさすぎてできなかった。
未処理になっている作業が多すぎるし、マニュアルもよく分かっていない。
マニュアルを閉じるファイルもまだ取りに行けていないので、とりあえず、受付手順だけビニール紐で書類をまとめ、手本の通りに合わせていく。
ベテラン社員が多いので梱包手順などどこにも記されていない物がほとんどで、それぞれのメーカー専用の修理用紙や、送り状の種類など、分からないことだらけで最悪だ。
閉店時刻が来ると即カウンターを閉め、これから一昨日の修理品を出荷する作業に取り掛かるのかと思いきや、全員あっけなく退社した。
完全に滞納することに慣れきっている。
午前中にいたフランソワが夕方で帰宅してからは入力作業も誰もしていないところを見ると、彼女が休みの日は入力作業ができていないのかもしれない。
受付入力だけでなく、完了入力もしないと、結果的にユーザーには手渡せないので、結局先延ばしが続いてしまう。
これは、ダメだ……。
誰もいない作業室の中で、山瀬は蛍光灯を見上げて溜息をついた。この作業場にこそ掛け時計が必要だ。
腕時計の時刻は午後11時30分。何時頃、鍵を閉めるのだろう。その前にファイル……取りに行きそびれた。
そうこう考えていると、管理者のみに与えられているPHSが胸元で鳴った。
表示には『須藤マネージャー』と出ている。
山瀬は一度唾を飲んでから、
「はい」
と声を整えて出た。
『お疲れ様。ピッチを返しに来ていないところを見ると、まだ作業中かな? 何時に出られる?』
声は穏やかで優しそうだ。途端、孤高の貴公子は天使へと化していく。
「あっ、お疲れ様です! あの、何時頃まで開いていますか? 鍵閉める前まで作業したいのですが……」
『あそう。じゃあ鍵渡しとくよ』
「えっ!?」
ってことは、店内で1人!?
『僕のキーを渡しておく。おそらく後30分くらいしたら全サブマネージャーが帰るから。君が鍵をかけてくれるなら、僕は先に返るよ』
あっ、そういう……。
「あ、はい。分かりました」
『ただ、明日朝8時に開けてほしい。開けたらそのまま持っててくれればいいから。午後から僕が出社したら、取りに行く』
「あ、はい」
8時……めちゃめちゃ早いんですけど。
『そしたら、後10分くらいで鍵持って行くから』
「はい、分かりました」
電話を切ったものの、後30分でサブマネージャーが帰るんなら、そのタイミングで帰らないこともないんですけど!?
電話を切って再び作業を開始しようと一度水を飲んだところで、再びピッチが鳴った。今度は、鳴丘、と表示されている。
「もしもし、お疲れ様です」
今度はどうでもいいかと普通に出た。
『お疲れってゆーか。初めまして。なんか、マネージャーが鍵預けるって言ってんだけど』
軽そうな喋りそのものの、鼻に抜けるような声だ。
「あ、はい」
『あそう、じゃ了解』
「あっ、すみませんちょっとお尋ねしたいことがあるんですけど」
『はいはいどうぞ?』
「あの、ファイルが欲しいんですけど、備品室の物を頂くには誰に許可を得ればいいですか?」
『備品担当基本的に俺だから。いいよ。ファイル何冊?』
「15冊くらい欲しいです。それから、掛け時計も備品にありますか?」
『あるよ』
「はい、じゃあまた明日にでも取に行きます」
『いいよ。帰る時にそこ通るから持ってく』
「あ、すみませんありがとうございます!」
ファイルを取に行く手間が省けて非常に助かった。
そうこうしている間にガサガサと音がし、
「……随分片付いたね」
須藤マネージャーが顔を見せた。