宮中に咲く二月の花
城下町と宴の後
見目麗しい若君、というだけで、町娘たちは恋い焦がれるものである。それに加えて有能とあればその勢いには拍車がかかるばかりである。
7年前にお披露目されて以来王太子として認識されてきた若君は、剣に秀で、地の利を活かした戦を指揮して勝利を収め、新たな水脈を探り当て、税率を見直す助言をし、能ある者を登用し、その他数多くの国益をもたらす働きをみせている。名は知らされぬゆえ只若君、あるいはその迅速な為政のありさまを讃えて鷹の君と呼ばれており、戦により脚を悪くしてよりどこか一歩引いた政を行ってきた現国主と並ぶと、なおその活躍ぶりは目をみはるものがある。
いつ即位の儀が執り行われるか――と、不遜ながらもそのような話が密かに交わされる中、紅花(ホンファ)は仕事中でもあるのにかかわらずきゃあきゃあとはしゃぐ店子たちの声に眉を顰めた。紅花がいるのは屋敷の三階だが、隣り合う店からは店子のはしゃぎ声が聞こえてくるときもある。特にこうして窓を開けている時は。
みんな、噂ばかりだわ。本物の若君にお目にかかったことすらないというのに。
ふん、と鼻を鳴らして、紅花は手元の手紙に目線を落とした。行商に行っている父からのものだ。つい昨日届いたそれも、件の王太子とその寵愛を受ける姫君についての噂について言及されている。国境を越えて商いをしているというのに、噂話に関心を向けているなどどういったことなのだろう。手紙には、王太子の噂はその偉業だけでなく美しい悲劇の姫君を従えているということまで伝え聞いているとの旨があった。そして結びには、国外でもその名が知れ渡る王太子のもと生活ができることへの感謝と、家族への愛情の言葉が並んでいた。
本当にみんな、若君のことばっかり。
紅花は頬杖をついて窓の外をみる。町の通りを見下ろしながら、祭りのことを思い出す。
大通りは花と人で埋め尽くされて、新年の祝いを終えた王族が神殿から王宮まで、大きな輿に乗り練り歩いていた。紅花は輿と、美しいと噂の王妃様を近くで見てみたくて、幼馴染の炎輝を連れて王宮前の広間に行き、人ごみの中から王城を見上げた。輿が城に入るときには、親衛隊の怒号と国民の歓声の中、親衛隊に囲まれた輿の、光を透かす幕の向こうに王妃様らしき人物の影が見えた。そして、続く輿の中に王太子の姿が見えた気がした。もちろん顔を見ることはできなかったが、その後窓から手を振っていた王太子の傍らには、確かに女性がいたように思う。侍女ではない様子だが、婚約の噂も聞いたことがなかったのでさして気に留めなかったが、その後瞬く間に噂は国中を駆け巡った。
今にして思うと、確かにあの二人は寄り添うように立っていたような気がする。とはいえ、遠くからだったのでどのような雰囲気だったかなんてわからない。家族のようだったようにも言えるだろうし、恋人のようだったとも言えるだろう。
「どちらにしても、王太子が若い女性を伴っていたことが、驚きなのよね…。」
父からの手紙まで噂にとらわれていたのは少々不満だが、今後誰もお目にかかれない場面を見ることができたのかもしれない。そう、王太子が初めて女性を連れているところはあの瞬間しかなかったのだ。そう思うと、紅花は嬉しいような誇らしいような気持ちになってきた。
「お父様にも教えてあげようかしら」
思い立つと、それがどうもいい思い付きのように思えて、紅花は筆を手に取りその時のことをつづり始めた。途中、せっかく二人で出かけたというのに手も繋いでくれない炎輝に対する不満もふつふつと湧き上がってきたが、心配性の父に知らせては仕事を切り上げて帰ってくるに違いないと思い直し、手紙には書かないことに決めた。
7年前にお披露目されて以来王太子として認識されてきた若君は、剣に秀で、地の利を活かした戦を指揮して勝利を収め、新たな水脈を探り当て、税率を見直す助言をし、能ある者を登用し、その他数多くの国益をもたらす働きをみせている。名は知らされぬゆえ只若君、あるいはその迅速な為政のありさまを讃えて鷹の君と呼ばれており、戦により脚を悪くしてよりどこか一歩引いた政を行ってきた現国主と並ぶと、なおその活躍ぶりは目をみはるものがある。
いつ即位の儀が執り行われるか――と、不遜ながらもそのような話が密かに交わされる中、紅花(ホンファ)は仕事中でもあるのにかかわらずきゃあきゃあとはしゃぐ店子たちの声に眉を顰めた。紅花がいるのは屋敷の三階だが、隣り合う店からは店子のはしゃぎ声が聞こえてくるときもある。特にこうして窓を開けている時は。
みんな、噂ばかりだわ。本物の若君にお目にかかったことすらないというのに。
ふん、と鼻を鳴らして、紅花は手元の手紙に目線を落とした。行商に行っている父からのものだ。つい昨日届いたそれも、件の王太子とその寵愛を受ける姫君についての噂について言及されている。国境を越えて商いをしているというのに、噂話に関心を向けているなどどういったことなのだろう。手紙には、王太子の噂はその偉業だけでなく美しい悲劇の姫君を従えているということまで伝え聞いているとの旨があった。そして結びには、国外でもその名が知れ渡る王太子のもと生活ができることへの感謝と、家族への愛情の言葉が並んでいた。
本当にみんな、若君のことばっかり。
紅花は頬杖をついて窓の外をみる。町の通りを見下ろしながら、祭りのことを思い出す。
大通りは花と人で埋め尽くされて、新年の祝いを終えた王族が神殿から王宮まで、大きな輿に乗り練り歩いていた。紅花は輿と、美しいと噂の王妃様を近くで見てみたくて、幼馴染の炎輝を連れて王宮前の広間に行き、人ごみの中から王城を見上げた。輿が城に入るときには、親衛隊の怒号と国民の歓声の中、親衛隊に囲まれた輿の、光を透かす幕の向こうに王妃様らしき人物の影が見えた。そして、続く輿の中に王太子の姿が見えた気がした。もちろん顔を見ることはできなかったが、その後窓から手を振っていた王太子の傍らには、確かに女性がいたように思う。侍女ではない様子だが、婚約の噂も聞いたことがなかったのでさして気に留めなかったが、その後瞬く間に噂は国中を駆け巡った。
今にして思うと、確かにあの二人は寄り添うように立っていたような気がする。とはいえ、遠くからだったのでどのような雰囲気だったかなんてわからない。家族のようだったようにも言えるだろうし、恋人のようだったとも言えるだろう。
「どちらにしても、王太子が若い女性を伴っていたことが、驚きなのよね…。」
父からの手紙まで噂にとらわれていたのは少々不満だが、今後誰もお目にかかれない場面を見ることができたのかもしれない。そう、王太子が初めて女性を連れているところはあの瞬間しかなかったのだ。そう思うと、紅花は嬉しいような誇らしいような気持ちになってきた。
「お父様にも教えてあげようかしら」
思い立つと、それがどうもいい思い付きのように思えて、紅花は筆を手に取りその時のことをつづり始めた。途中、せっかく二人で出かけたというのに手も繋いでくれない炎輝に対する不満もふつふつと湧き上がってきたが、心配性の父に知らせては仕事を切り上げて帰ってくるに違いないと思い直し、手紙には書かないことに決めた。