黒猫の昼下がり
表紙は信じない主義



 思えば今日は厄日なんだ。

 学生時代から付き合っていた彼に「愛想がない」とフラれたのが今朝のこと。

 それを引きずりつつもオーディションを受けに行き、事務所から合格間違いなしとまで太鼓判を押された最終オーディションは、審査員に「華が足りない」と言われ呆気なく不合格。

 代わりに合格したのは同期の友人で、居たたまれなくなって事務所を飛び出せば、降水確立は0%のはずなのに、どうやら通り雨らしい大雨が降りだした。

 急いでコンビニで傘を買えば、目の前を黒猫が過り、それに注目していれば足を滑らせて転んだ。

 結局びしょびしょに濡れた服を洗おうと公園に向かえば、遊んでいたこども達に泥を投げられてまた転んだ。

 そんな格好で電車に乗るわけも行かず、駅から離れた人気の少ない道を途方もなく歩く。1つの傘を分け合ったカップルには不審気な視線を送られたっけ?

 思い返せば、意味のない23年間だったなあ。と意味もなく自嘲する。

 小さな頃からの、大きな夢。家を出たいと言った時は、たくさんの反対を受けた。何度も悩んだし、何度も考え直した。けれど熱意を抱いて説得すれば、結局はみんな応援してくれて、背中を押してくれて。その期待に応えようと上京したは良いけれど、待っていたのは先の見えない未來だけで。

 筋はいいと言われた、センスだってあると言われた。なのにどうして。

 気がつけば時間だけが過ぎていて、焦るばかりの生活。契約期限だって迫ってる。どうしたたらいい、どうすればいい。

 久々に実家から電話がきたと思えば、家に帰って来いとのことだった。無理もない、この歳になれば地元の子は立派に働き出す頃だもの。本当は泣いてすがりたかったけれど、不安を打ち明けることすらできなかった。元気にやってる、あと少しだから、なんて嘘をついた。

 帰って来い。この言葉の意味は分かってる。職もない私に待っているのは、きっとお見合い話なんだろう。相手はきっと、隣街の漁師の主人の息子かな。やだな、あの人とは昔いろいろあったから苦手なんだ。結婚するなら、りょーちゃんがいい。だけどりょーちゃんにはフラれちゃったんだった。うまくいかない、ああ、うまくいかない。

 ポタポタと泥まみれのスカートを濡らすのは、空の雨か私の涙か。どっちでもいいけど、確かこの道を進めば海があったっけ。

 見上げれば空にはうっすらと灰色のベールがかかっているよう。にゃー と猫の鳴き声が聞こえた。スリスリと体を寄せるこの黒猫は、さっき過ったネコと同じだろうか。

 耳の裏を撫でれば、しっとりと濡れていた。同じだね、なんて笑うけど、私はこの子みたいに愛想はない。今朝言われたんだ、もちろん華だって。

 どうでもいいや、どこからか聞こえてくる声。変わらないよ。そう、どうせ叶わない。

 とたんに足が軽くなって、身体からふっと力が抜けた。はたりと傘が地面に落ちて、ネコが驚いて駆けてゆく。……ああ、行っちゃった。驚かせちゃってごめんね。申し訳ない気持ち、残念な気持ち、上手くいかない虚しさ、悔しさ、いっそすべてを捨てて、楽になってしまおう。何かが、落ちてゆき。そして堕ちてゆく。茫然と足を動かせば


「傘も挿さずに、どうしたんだい?」


 声がした。振り向けば誰かがそこに立っていて、歪んだ視界では、男性か女性か、こどもか大人かさえ分からない。けれど確かに聞こえたその声からは、優しさを帯びた、暖かさを感じられて。


「……う、ふぇっ…」


 たった今、おぞましいことを考えていた自分に、淋しくなった。


< 1 / 4 >

この作品をシェア

pagetop