仕合わせ
凡庸
拝啓 Y先生
助けて下さい。困っているのです。
先生は、仕合せとは一体、何だと御思いですか。
私は学生時代から、仕合せになりたい仕合せになりたい、とばかり思い続けてきました。
最近になって、一層仕合せについて分からなくなったのです。
女学校に入ってから、私はそれはもう、様々なオンナを見て来ました。オンナは恐ろしい生き物です。
互いに騙し合い、強慾で、自分ばかりを愛しているくせして、隣人愛だのなんだのと、表面ではさも優しさを振り撒き、内心狂うような残酷さを持っております。
またオンナは、実に複雑で、
どうやら道楽をわきまえていないらしく、同じ女学校のKは、「ほら、ここにツブツブがあるでしょう。チョコレイトを食べ過ぎたのよ。嫌になっちゃう。あなたは酷く肌が平らで白くて、羨ましいわ。ほら、ここにも。こんなに出来て、もう笑っちゃうでしょう。ほら、私って肌だけじゃなくて、こんなに太っているから…」と、
ほら、ほら、と自分の恥辱を笑いの種にして、陽気な声で、けれど、無表情で言うのです。
私は胸がドキリとして、「雨が振りそうですね。」って。
雲一つ無いのに、実に阿呆な事を言ってしまいました。
友人の、こうした自虐話、いや、滑稽話に、何と返せばいいのか分からないのです。だってそうでしょう。彼女らは、「あら、本当にブツブツ」と笑い船に乗った所で、私を無礼な奴だと非難するでしょう。かと言って、「そんな事ないわ。私もほら、ここに…」と言ったところで、
何を心にも無い事を言って、同情しているつもりか、と
底に潜む鬼を起こすつもりでしょう。
翌朝髪を結っていたら、額にポツと一つ、赤い点が出来ていて、私は自分が可哀想でならなくて涙が溢れました。
オンナのそうした、表と裏の顔がいよいよ恐ろしくなって、自分の血を呪うばかりです。
嗚呼、私もこの醜悪な生き物の一人なのだ、と。
丁度2月程前に、幼馴染のMさんから、いつも皮のめくれた様な足元で不憫だからと、靴を頂いた時は、
目を瞑ってそのまま開けたくない心持ちでした。
私はオンナを嫌忌すると同時に、オンナの象徴、赤い口紅だとか、光る宝石だとかにも嫌悪感を覚えていたので、
Mさんからの悲しいプレゼントは、歩く度に高いヒイルからコツコツと音がして、恥ずかしさといやらしさで死にたくなりました。
こんな筈では無かったのです。
私は一体どこで途を間違えたのか。
中等学校に居た時から私は何でも優に出来ました。
周囲からの私の評判は、恐ろしく良くて、天ちゃんはすごいすごいと言われて育ちました。自慢ではありません。
そんな、間抜けな事が言いたいのではありません。
当時私はナポレオンに対する、どこか無言の闘争心というものがあり、毎日夜中2時まで勉強しました。
それはもう、狂ったようにしました。睡眠時間が4時間もあった日には、自分の怠慢さを恨んだ程です。
しかしそれでも、私は両親の望んだ高等学校には入れませんでした。米国に三年、英国に四年いた丸坊主の友人は当たり前だという顔で、その学校へ合格しました。
私の入った高等学校は、皆が独自の世界を持ち他人に干渉する暇も無く、刻苦勉励、くたばる奴は勝手にくたばれ、といった息苦しい所でした。
東京の一流大学を目指す輩ばかりで、真の天才と、
人間の下劣さとをみました。
途端に私は勉強しなくなりました。まるで張り合いが無くなりました。毎日死んだように生きました。
とうとう留年の危機をも迫られました。
嗚呼、こんな筈では無かったのです。
勿論、終始負け犬だったのではありません。
泣きながら勉強しました。どうやら私は不器用で、容量が悪いようで、私が三日と掛けてやる事も、隣人は一日で完璧に仕上げてしまう有様なので、とうとう私の中にも文字通り妥協が生まれました。何もかもが中途半端になりました。
私は家に帰り、父母に「勉強してきます。」と伝えて夕食までベッドに仰向けになり天井の模様をぼんやり眺めては、お化けの顔みたいだと、視界が虚ろになっても尚、眺めているのでした。
そんな訳でしたから勿論、親の望む大学等到底入れる筈もなく、高等学校では事例の無い方法で、この女学校に入ったのです。
女学校に入ってから、オンナ以上に自分が醜く思えてならなくなりました。私は最初に述べたように、賞賛の中で育ちましたから、可笑しな自尊心がございまして。
嗚呼、この自尊心さえ無ければ、私のこのボダも、確認される事無く、私は今よりもまだマシな生き方が出来たでしょうに。
許さないのです。私の過去が、中等学校時代の友人が、恩師達が、親が。醜いアヒルの子どもが、アヒルに混じるのを許さないのです。何時までもスワロウを期待して、ずるずると私を苦しめるのです。
私はとうにシロートでした。中等学校時代の友人は、私が堕落者に成り下がったとは露も知らず、天ちゃんは相変わらず凄いんだろうなあ、かなわないなあ、と勝手な事を言います。そんな事はない、私にあるのは過去の栄光だけだ、と言ったところで、いやぁ謙遜しなさるな。君の普通は僕等にとっては大金なんだ、と知ったかぶりをなさる。
何を知っている!お前は私の何だ!そんなものは汚辱だ!
私は彼等の為に栄達を課さねばならないのです。いや、彼等の為というのはあまりに愚鈍ですね。
どうも私は人と上手く付き合えません。冗談も冗談と理解出来ません。全ては連続性がある、スペクトラムだと先生は仰った。私の立ち位置はどこでしょうか。健常者こそ悪人な気がしてなりません。
こんな事を言いたいわけではないのです。
もうお分かりでしょう。私は死ぬつもりでいます。
きっと死にます。母親が死んだら後を追うつもりです。
私の母親は可憐な少女で、気品高く、それでいて神様のような、いや、聖母様のように温かいお方です。
それはもう、彼女の血は透明ではないかしらと思う程純粋なべエルに包まれた優しいお方です。
私はとてもこの世に生きておられなくなった時、手元にあった刃物を何度が手に押し当てた事がありました。時には深く、時には躊躇して。十二の傷が残りました。
彼女がこれを見た時にわんわんと赤ん坊のように泣くのです。嗚呼、いっそ、お叱りになってくれたら!何を腑抜けた事をしていると頬を叩いてくれたのなら!
「お母ちゃんのせいだね。」と泣くのです!どうして!
私は死にたくなりました。償いきれないと思いました。死んでお詫びをしなければならないのです。
母親が、母親のように、あの純粋さを、どうして持てなかったのかと、自分を呪う思いで、半死半生の思いで生きております。
先生、叱ってください。お前だけが不幸ではないのだと叱ってください。でなければ、きっと、死んでしまいます。
いつ死のうかと、そればかりです。
私が死んで、何人が泣くでしょう。私は先日女学校の帰りに一匹の烏の死骸を見つけて、私を思って泣く人は本当にわずか、2、3人な気がしてきて、いや、それでも自惚れかもしれませんね、やめましょうこんな話。
仕合わせになりたい。 ただ、それだけです。
長くなりましたね。それでは。
追伸
私が死んだら京都の、長岡京の近くに住んでいらっしゃる、トヨという男にお伝え下さい。私の人生は、彼によって、終わった気がいたします。
先生からの御返事は実に簡素なものでした。
ヴィクトール・フランクルという心理学者は
ナチスドイツの捕虜として、アウシュビッツの収容所で自身が囚えられていた時でさえ、ベッドに横になる瞬間、生きていることの幸せを感じると言っています。