脳電波の愛され人
人との出会い
不幸な火事
僕はいつも冷静でいられる男でありたかった。そう、いつも世話をしてくれたおにーちゃんみたいに。
おにーちゃんはいつも冷静だった。おにーちゃんが言うには尊敬する人の真似だそうだ。でも、真似であそこまで出来る人はすごいと思う。
冷静だという例をあげるならば、僕が幼稚園の頃、小さな子供が公園で毒蜂に刺されたことがあった。
そのとき親たちはそばにいなくて、刺された子供をおにーちゃんに応急処置をしてもらった。
現場は刺された子供が泣き出して、その周りにいた子供たちももらい泣きをしてとてもうるさい状況だった。
でもおにーちゃんは戸惑うことなく刺された子供に刺さっている毒針をはらい、どこからか持ってきた救急箱ですぐ応急処置をし、すぐさま子供たちをなだめて一気に落ち着かせるというすご技を見せた。
そのあとその子は病院で診察をうけ、無事に生活に戻ってきた。
そう、あの日のおにーちゃんのように、僕は冷静に考えられる男になりたかった。
おにーちゃんは、いつも公園にいた。
とても静かで、グラウンドや遊具が全くない公園だ。まるで散歩用に造られたみたいに細く長い道が連なっている。
しかし、子供たちには人気がないというわけではない。遊具がなくても、周りに木がたくさんあって、そこに動物たちが住み着いているのだ。それを見ようと子供たちが集まり、いつの間にか子供に人気のある公園になっていたのだ。
もちろん老人にも人気がある。何故なら細く長い道は、老人たちのいい散歩ルートになるからだ。三十代の子供の母親たちも、たまに動物を見に子供たちと一緒に来たりする。
とにかく、この公園はみんなから愛されていた。
その公園の一本道の先にある木におにーちゃんはいつもいた。
ここが落ち着くといって、木に上って片足をぶらぶらして寝ていた。時々したに降りて、木の上に僕を乗せてくれた。そこから見える景色は、とてもきれいだった。
でも、高いところが苦手な僕は高いことに怯えて、あまり感動できなかった。
おにーちゃんはニートだといっていたような気がする。でも、困らないらしい。
何故かは話してくれなかったけど、親に養ってもらっているか、働かなくてもお金が入ってくるかのどちらかなのだろう。
とりあえず、僕は冷静に行動できる人になりたかった。……おにーちゃんみたいになりたかった。だから、いまさっき妹が家に火をつけようとしていたけれど、驚きを見せないようにした。
「まぁ妹だからしょうがないか」なんてかってに一人で納得したふりをして、家内に隠しておいたお金を抜き取り、ポケットに突っ込んだ。
妹はまだ僕に気づいていないようだ。
こういうときおにーちゃんは見なかったふりをして木の上で寝るのだろうけど、僕は妹がきになって放っておけなかった。
みんな平等に見れないからおにーちゃんに近づけないんだと思ったけど、僕にはやっぱりおにーちゃんと妹と父と母が特別に思えた。
妹の犯罪は止めた方がいいのだろうけど、何故か僕に止められない気がした。どうせなら妹に話をつけて、妹の放火の罪を僕が背負おうかとも思ってしまった。しかし、それはおにーさんは絶対にしないから、僕もしない。
迷った結果、とりあえず話しかけることにようと思う。
僕はできるだけ優しい声で「何してるの？」と、妹に問いかけた。
妹は僕の顔を見るなり、「あっ……」と小さな声をあげて固まってしまった。そんなにびっくりしたのだろうか。……それとも僕の声が優しく聞こえなかったのだろうか。
おにーちゃんならこういうとき強めに言って相手を怯ませて、犯罪を辞めさせるのだろうけど、僕は妹相手にそんなに強く言えなかった。そもそも辞めさせるという選択肢は今さっき諦めたので、強く言う必要がなかった。
僕は少し戸惑いながら妹が作業を再開できるように「大丈夫、誰にも言わないから。」と、僕が同じ状況にいたとき、安心できる言葉をかけた。
それでも妹は、ガスボンベを並べる手を止めたままだった。
どこからそのガスボンベを持ってきたのかはわからないけど、そんなに必要ないだろうというくらいのガスボンベが妹の脇にあった。
そのガスボンベがいっこうに減らないのは時間の無駄だ。そこで思いついたのは冗談を言って妹を笑わせて緊張をほぐし、作業を再開させるという手だった。
僕が少し笑いながら「手伝ってあげようか。」と言うと、冗談に聞こえなかったのか、一生懸命頭がちぎれるかと思うくらいに首を横にふった。
妹のきれいな肩で切り揃えた髪が、顔にまとわりついていて、その姿は何か滑稽だった。
昔から妹はあまり怒らない優しい子だったのに、どんなことを考えて防火などする気になったのか僕にはわからない。そもそも、妹はまだ七歳だ。放火なんて、どこで覚えたのだろう……。
火を扱うからだろうか、軍手をつけたり、妹はいつもチェック模様のフリフリしたミニスカートをはいているのに、今回はキャンプファイヤーのときに使っていた長いジーパンをはいたりしていた。
しゃがんで火をつけている妹の腹と足に挟まっている肩さげ鞄を見る限り、防火したあとは逃げるつもりなのだろう。
鞄の中から所々人形の腕がはみ出ている。中身はたいしたものじゃないようだ。僕だったら荷物になるから絶対置いていくと思うけど、妹はそういう物も、まるで僕でいうお金のように大切に扱う。妹は昔から思い出とかを大切にする主義だったから。
僕にはよくわからないけれど。
僕に見つかって放火をやめるかと思ったが、どうやら一度決めたことは最後までやるらしく、放火の準備を進めていた。
僕はそういう妹の姿を眺めていた。
妹のやることに、僕は手出ししないつもりでいたが、いざ火をつけるというときに「ライターを忘れた……」という妹の呟きをきいて、手出しせざるをえなくなった。
僕は父からくすねてきたライターをかっこよく投げようとしたのだが、投げたライターは妹の少し前で地面についてしまい、ぽてぽてと妹のほうに転がっていった。
そして、僕は、言わないと妹が使わないだろうから「おっと、手が滑った」と、できるだけ自然に聞こえるように言った。
それでも妹はこちらをじっと見てきた。どうやら相変わらず棒読みになっていたらしい。僕は「使え」と、一言つけ加えた。
妹はうなずくと、ライターの火を藁の束に移して、それをガスボンベなどを並べているところに放り込んだ。
火はすぐに木製の家へと燃え移り、辺りを一気に火の海にした。
「あの公園も、こうなってしまうのだろうか」
ふとそんな言葉が浮かんできた。
おにーちゃんのことだから多分もう見透かしているだろうし、公園まで広がりはしないだろう。
僕はまた理由をつけて、その言葉を心のすみに避けた。
……。
「戻ってきて！お願いだから！戻ってきて！」
サイレンがなり響いているのにも関わらず、妹の声が鋭く突き刺さる。しかし僕はまるで聞こえないとでもいうような素振りをして、足を休めることなく炎の中へと進んだ。
しばらく進むと、今にも崩れそうな床の上でなにかがキラッと光った。ネックレスだ。
このネックレスは妹がとても大切にしていたものらしい。
放火をする前に鞄に詰め込んだはずが、どこかに落としてしまったというのだ。銀色の地味な鎖にひとつだけ赤い小さな宝石がついている、とてもシンプルなネックレスだ。
そのネックレスを見ていると、ある思い出がひとつ頭にうかんだ。僕が小さい頃に母親から貰ったものの、その頃の僕はアクセサリは女性だけがするものだと思っていたから、「僕は女じゃない。」と言って妹に渡したという思い出だ。妹はその時赤ちゃんで何もわからないはずなのにとても喜び、数年たった今でも、大切にしているそうだ。
……少しだけ妹の言ったことがわかった気がした。こういう風に、これを見ただけで思い出がよみがえる。そして、一時の楽しさを味わえる。
しかし、今は思い出に浸っている場合ではない。
僕はそのネックレスを拾い上げると、少し微笑みながら、炎をかいくぐって来た道を戻った。
行きよりも炎が大きくなっているが、ここでじっとしていても意味がないので、勇気を出して飛び込んだ。
その先には、叫び疲れた妹が、手を地面について、固まっていた。
「よく固まるな」と思いつつ、その光景をしばらく眺めていた。
妹の手は震えていたが、その振動は見事に手首と肘に吸収されていた。そして、妹は微かに口を動かしていた。
口の動きから推測するに、「私のせいで、お兄ちゃんは……」と言っているようだ。僕は死んだことにされているようだが、残念ながら僕は死んでいない。それとも僕が死んだら悲しんでくれるのだろうか。
しばらくたって、妹は僕に気づいたのか、突然顔をあげ、びっくりして目を見開いた。そして安心したように表情を緩めて、よろよろと立ち上がり僕のもとへ走ってきた。
膝が震えてちゃんと立ち上がれないのか、中腰のままで、何度も転びながら、しかし顔は嬉しそうに走ってきた。まるで、歩きたてのやぎみたいだ。
僕もそんな妹を見ていると嬉しくなり、自然と笑みがこぼれた。鍛えられていない僕の表情筋は上がっているかどうかわからないが。
しかしそんなほほえましい時間も、数秒で終わってしまった。妹が到着する前に、重たくて熱い物が僕の体を押さえつけた。
僕は急すぎて、いきなり目の前に写った地面すら認識できなかった。頭ではなぜかおにーちゃんが離れていく幻覚を見てしまったけど、それは特に気にしなかった。
やっと目の前に写っているのが地面だということがわかったころには、背中の痛みも認識されているころで、痛みに耐えられず僕は足をバタバタしていた。
妹は驚いて、声にならない悲鳴をあげ、すぐに僕へと駆け寄った。そして何度も「ダメ！死なないで！お願いだから！」と首をふりながら繰り返し言った。
僕は妹にかっこ悪い顔を見せたくなかったから、痛みを感じないように手をつねったりして「大丈夫、死なないから」と、できるだけ明るい声で言い聞かせた。でも多分、棒読みに聞こえるのだろう。
正直言って、もうすぐ僕は意識をとばすと思う。視界に黒いぶつぶつが現れて、耳鳴りがして、頭がくらくらするからだ。
僕はありったけの力を振り絞って、妹にネックレスを渡そうとした。ガタガタ震えているが、特に問題ないだろう。
しかし妹はそれに目もくれず、「死なないで……」と繰り返していた。
僕の腕は力尽きて、地面に落ちてしまった。まぁ気づくだろうと思いつつ、僕はひどくなってくるめまいに身を任せ、静かに目を閉じた。
最後に妹の役に立てたたことを幸せに思いながら。
……そして、おにーちゃんに会えなかったことを残念に思いながら。
おにーちゃんはいつも冷静だった。おにーちゃんが言うには尊敬する人の真似だそうだ。でも、真似であそこまで出来る人はすごいと思う。
冷静だという例をあげるならば、僕が幼稚園の頃、小さな子供が公園で毒蜂に刺されたことがあった。
そのとき親たちはそばにいなくて、刺された子供をおにーちゃんに応急処置をしてもらった。
現場は刺された子供が泣き出して、その周りにいた子供たちももらい泣きをしてとてもうるさい状況だった。
でもおにーちゃんは戸惑うことなく刺された子供に刺さっている毒針をはらい、どこからか持ってきた救急箱ですぐ応急処置をし、すぐさま子供たちをなだめて一気に落ち着かせるというすご技を見せた。
そのあとその子は病院で診察をうけ、無事に生活に戻ってきた。
そう、あの日のおにーちゃんのように、僕は冷静に考えられる男になりたかった。
おにーちゃんは、いつも公園にいた。
とても静かで、グラウンドや遊具が全くない公園だ。まるで散歩用に造られたみたいに細く長い道が連なっている。
しかし、子供たちには人気がないというわけではない。遊具がなくても、周りに木がたくさんあって、そこに動物たちが住み着いているのだ。それを見ようと子供たちが集まり、いつの間にか子供に人気のある公園になっていたのだ。
もちろん老人にも人気がある。何故なら細く長い道は、老人たちのいい散歩ルートになるからだ。三十代の子供の母親たちも、たまに動物を見に子供たちと一緒に来たりする。
とにかく、この公園はみんなから愛されていた。
その公園の一本道の先にある木におにーちゃんはいつもいた。
ここが落ち着くといって、木に上って片足をぶらぶらして寝ていた。時々したに降りて、木の上に僕を乗せてくれた。そこから見える景色は、とてもきれいだった。
でも、高いところが苦手な僕は高いことに怯えて、あまり感動できなかった。
おにーちゃんはニートだといっていたような気がする。でも、困らないらしい。
何故かは話してくれなかったけど、親に養ってもらっているか、働かなくてもお金が入ってくるかのどちらかなのだろう。
とりあえず、僕は冷静に行動できる人になりたかった。……おにーちゃんみたいになりたかった。だから、いまさっき妹が家に火をつけようとしていたけれど、驚きを見せないようにした。
「まぁ妹だからしょうがないか」なんてかってに一人で納得したふりをして、家内に隠しておいたお金を抜き取り、ポケットに突っ込んだ。
妹はまだ僕に気づいていないようだ。
こういうときおにーちゃんは見なかったふりをして木の上で寝るのだろうけど、僕は妹がきになって放っておけなかった。
みんな平等に見れないからおにーちゃんに近づけないんだと思ったけど、僕にはやっぱりおにーちゃんと妹と父と母が特別に思えた。
妹の犯罪は止めた方がいいのだろうけど、何故か僕に止められない気がした。どうせなら妹に話をつけて、妹の放火の罪を僕が背負おうかとも思ってしまった。しかし、それはおにーさんは絶対にしないから、僕もしない。
迷った結果、とりあえず話しかけることにようと思う。
僕はできるだけ優しい声で「何してるの？」と、妹に問いかけた。
妹は僕の顔を見るなり、「あっ……」と小さな声をあげて固まってしまった。そんなにびっくりしたのだろうか。……それとも僕の声が優しく聞こえなかったのだろうか。
おにーちゃんならこういうとき強めに言って相手を怯ませて、犯罪を辞めさせるのだろうけど、僕は妹相手にそんなに強く言えなかった。そもそも辞めさせるという選択肢は今さっき諦めたので、強く言う必要がなかった。
僕は少し戸惑いながら妹が作業を再開できるように「大丈夫、誰にも言わないから。」と、僕が同じ状況にいたとき、安心できる言葉をかけた。
それでも妹は、ガスボンベを並べる手を止めたままだった。
どこからそのガスボンベを持ってきたのかはわからないけど、そんなに必要ないだろうというくらいのガスボンベが妹の脇にあった。
そのガスボンベがいっこうに減らないのは時間の無駄だ。そこで思いついたのは冗談を言って妹を笑わせて緊張をほぐし、作業を再開させるという手だった。
僕が少し笑いながら「手伝ってあげようか。」と言うと、冗談に聞こえなかったのか、一生懸命頭がちぎれるかと思うくらいに首を横にふった。
妹のきれいな肩で切り揃えた髪が、顔にまとわりついていて、その姿は何か滑稽だった。
昔から妹はあまり怒らない優しい子だったのに、どんなことを考えて防火などする気になったのか僕にはわからない。そもそも、妹はまだ七歳だ。放火なんて、どこで覚えたのだろう……。
火を扱うからだろうか、軍手をつけたり、妹はいつもチェック模様のフリフリしたミニスカートをはいているのに、今回はキャンプファイヤーのときに使っていた長いジーパンをはいたりしていた。
しゃがんで火をつけている妹の腹と足に挟まっている肩さげ鞄を見る限り、防火したあとは逃げるつもりなのだろう。
鞄の中から所々人形の腕がはみ出ている。中身はたいしたものじゃないようだ。僕だったら荷物になるから絶対置いていくと思うけど、妹はそういう物も、まるで僕でいうお金のように大切に扱う。妹は昔から思い出とかを大切にする主義だったから。
僕にはよくわからないけれど。
僕に見つかって放火をやめるかと思ったが、どうやら一度決めたことは最後までやるらしく、放火の準備を進めていた。
僕はそういう妹の姿を眺めていた。
妹のやることに、僕は手出ししないつもりでいたが、いざ火をつけるというときに「ライターを忘れた……」という妹の呟きをきいて、手出しせざるをえなくなった。
僕は父からくすねてきたライターをかっこよく投げようとしたのだが、投げたライターは妹の少し前で地面についてしまい、ぽてぽてと妹のほうに転がっていった。
そして、僕は、言わないと妹が使わないだろうから「おっと、手が滑った」と、できるだけ自然に聞こえるように言った。
それでも妹はこちらをじっと見てきた。どうやら相変わらず棒読みになっていたらしい。僕は「使え」と、一言つけ加えた。
妹はうなずくと、ライターの火を藁の束に移して、それをガスボンベなどを並べているところに放り込んだ。
火はすぐに木製の家へと燃え移り、辺りを一気に火の海にした。
「あの公園も、こうなってしまうのだろうか」
ふとそんな言葉が浮かんできた。
おにーちゃんのことだから多分もう見透かしているだろうし、公園まで広がりはしないだろう。
僕はまた理由をつけて、その言葉を心のすみに避けた。
……。
「戻ってきて！お願いだから！戻ってきて！」
サイレンがなり響いているのにも関わらず、妹の声が鋭く突き刺さる。しかし僕はまるで聞こえないとでもいうような素振りをして、足を休めることなく炎の中へと進んだ。
しばらく進むと、今にも崩れそうな床の上でなにかがキラッと光った。ネックレスだ。
このネックレスは妹がとても大切にしていたものらしい。
放火をする前に鞄に詰め込んだはずが、どこかに落としてしまったというのだ。銀色の地味な鎖にひとつだけ赤い小さな宝石がついている、とてもシンプルなネックレスだ。
そのネックレスを見ていると、ある思い出がひとつ頭にうかんだ。僕が小さい頃に母親から貰ったものの、その頃の僕はアクセサリは女性だけがするものだと思っていたから、「僕は女じゃない。」と言って妹に渡したという思い出だ。妹はその時赤ちゃんで何もわからないはずなのにとても喜び、数年たった今でも、大切にしているそうだ。
……少しだけ妹の言ったことがわかった気がした。こういう風に、これを見ただけで思い出がよみがえる。そして、一時の楽しさを味わえる。
しかし、今は思い出に浸っている場合ではない。
僕はそのネックレスを拾い上げると、少し微笑みながら、炎をかいくぐって来た道を戻った。
行きよりも炎が大きくなっているが、ここでじっとしていても意味がないので、勇気を出して飛び込んだ。
その先には、叫び疲れた妹が、手を地面について、固まっていた。
「よく固まるな」と思いつつ、その光景をしばらく眺めていた。
妹の手は震えていたが、その振動は見事に手首と肘に吸収されていた。そして、妹は微かに口を動かしていた。
口の動きから推測するに、「私のせいで、お兄ちゃんは……」と言っているようだ。僕は死んだことにされているようだが、残念ながら僕は死んでいない。それとも僕が死んだら悲しんでくれるのだろうか。
しばらくたって、妹は僕に気づいたのか、突然顔をあげ、びっくりして目を見開いた。そして安心したように表情を緩めて、よろよろと立ち上がり僕のもとへ走ってきた。
膝が震えてちゃんと立ち上がれないのか、中腰のままで、何度も転びながら、しかし顔は嬉しそうに走ってきた。まるで、歩きたてのやぎみたいだ。
僕もそんな妹を見ていると嬉しくなり、自然と笑みがこぼれた。鍛えられていない僕の表情筋は上がっているかどうかわからないが。
しかしそんなほほえましい時間も、数秒で終わってしまった。妹が到着する前に、重たくて熱い物が僕の体を押さえつけた。
僕は急すぎて、いきなり目の前に写った地面すら認識できなかった。頭ではなぜかおにーちゃんが離れていく幻覚を見てしまったけど、それは特に気にしなかった。
やっと目の前に写っているのが地面だということがわかったころには、背中の痛みも認識されているころで、痛みに耐えられず僕は足をバタバタしていた。
妹は驚いて、声にならない悲鳴をあげ、すぐに僕へと駆け寄った。そして何度も「ダメ！死なないで！お願いだから！」と首をふりながら繰り返し言った。
僕は妹にかっこ悪い顔を見せたくなかったから、痛みを感じないように手をつねったりして「大丈夫、死なないから」と、できるだけ明るい声で言い聞かせた。でも多分、棒読みに聞こえるのだろう。
正直言って、もうすぐ僕は意識をとばすと思う。視界に黒いぶつぶつが現れて、耳鳴りがして、頭がくらくらするからだ。
僕はありったけの力を振り絞って、妹にネックレスを渡そうとした。ガタガタ震えているが、特に問題ないだろう。
しかし妹はそれに目もくれず、「死なないで……」と繰り返していた。
僕の腕は力尽きて、地面に落ちてしまった。まぁ気づくだろうと思いつつ、僕はひどくなってくるめまいに身を任せ、静かに目を閉じた。
最後に妹の役に立てたたことを幸せに思いながら。
……そして、おにーちゃんに会えなかったことを残念に思いながら。
