脳電波の愛され人
「これはどうでしょう?」
しばらくたって千秋が戻ってきた。
手にはとても鋭いカッターナイフが握られている。
僕は嫌だと言いたかった。
もし刺さったらとても痛いからだ。
しかし、千秋はそんなことお構いなしに、カッターナイフを僕の首めがけて降り下ろす。
この子は遠慮というものがないのだろうか。
僕の首をとても鋭い感覚が走る。
「どうですか?痛いですか?」
千秋が少し楽しそうに訊ねる。
痛いです。とても痛いです。
あの火事のとき並みに痛いです。
僕は痛さをあまり引き出さないように、小さく首を動かした。
痛さに少し慣れてきたころ、首を何かが伝うのを感じた。今では不必要となった血液だ。
さすがに千秋もそれを見て驚いたのか、刺したカッターナイフを、急いで僕から抜いた。
「ごめんなさい!」
千秋は僕から離れると、すぐに謝った。
僕は「大丈夫。」と言うと、首のところを触った。
首には血液は残っていたが、傷口がどこにもなく、どこを触っても痛くなかった。
「お父さんのおかげですね!」
千秋は手を合わせて、感嘆の声をあげた。
本当に安心したらしく、目には少し涙がたまっていた。
しかし、当然いつまでもそうしているわけではない。
千秋は、僕がカッターナイフに刺されても大丈夫なように、僕に脳電波を再びかけ始めた。
じっとしばらく見つめあうと、千秋がはあっとため息をついた。
「千秋、黒、もうそろそろ寝るぞ……っ!」
千秋は部屋に入ってきて早々、息を詰めた。
そりゃそうだ。僕が血液で汚れているのだから。
「あ、千草さん。……えっとこれはですね、さっきお話ししたことを行って、念のため実験をしてみるとですね……」
「失敗した……と。」
千秋が事実を話している途中で、黒い声が響いた。
前と同じような千草の声だ。
「……はい。」
千秋はうつむいた。
誰だって、こんな声で責められたらこうなるだろう。
「……まぁとりあえず黒が無事じゃから良かったとしよう。
黒はその血液で汚れた服を着替え、すぐ寝るのじゃ。
そして千秋はもう寝るのじゃ。
よいな。」
千草はいつも通りの声で命令を出すと、寝にいってしまった。
僕はどこで寝ればいいのかわからなかったけど、千草が指を指して教えてくれた。
僕は急いで服を借りて着替えた。
千秋は何枚持っているのかというくらい、たくさん服を持っていた。しかも似たようなものを。
僕は教えてもらったところにあった布団に身を挟むと、すぐに眠りについた。
そんなに眠たくなかったはずなのに……。

僕は夢の中にいる。
それはなんとなくわかる。
体がふわふわして、思い通りに動かない。
木陰から覗く光が眩しい。
僕は仰向けになって、誰かに抱かれている。
これは、多分おにーちゃんだ。
そして、これは僕のいつかの記憶なのだろう。
あまり覚えていないけど、なんとなくわかる気がする。
恐らく僕が生まれたてのときだ。
退院して間もない頃のとき。
おにーちゃんの長い髪が体の一部に垂れる。
しかし、はらうことなく、僕をじっと見つめる。
「黒のねこまのゆめを見しせば~♪
そは死に近しといふなり~♪
かみかけてそれを追うべからず~♪
死にたかざらば~♪
骸の連なるを人に告ぐべからず~♪
どう転びても何かを失えば~♪
我は歌ひ続く~♪
猫もまつらぬあやし歌~♪」
聞き覚えのある歌だった。
あまり歌詞は覚えてないけど、リズムや音程は何となく聞いたことがあるかなっていうくらいに覚えていた。
繰り返しではなく、一節ずつリズムや音程が違ったけど、それもいいかなと思う。
おにーちゃんの低くてガラガラした声が心地いい。
おにーちゃんが歌ってやっと成り立つ歌のような気がした。
おにーちゃんが歌うからこその歌。
僕もそんな歌が欲しいなと、ひそかに嫉妬したりしている。
ポタッポタッと僕の頬に何かが落ちる。
それは僕の口の中に入ってしまった。
しょっぱい味が口の中に広がる。
「……なぜ生まれてきたのだろう。
僕なんて生まれてこなければよかったのに。
しかし、そういいつつも自分を殺せない。
自分が憎い。」
そんなことをぼやきながら、おにーちゃんは腕に力をこめ、かたかた震えた。
僕はいたくもないのに、なぜか泣き出してしまった。
必死でおにーちゃんが僕をあやす。
でも、僕は泣き止まなかった。泣き止める気がしなかった。
このままずっと泣いているのだろうか……。
そんなわけにもいかない。
僕は自らおにーちゃんの腕から落下した。
何故だろう。必死で僕が暴れていてもとめなかったのは。
おにーちゃんはもしかして、僕のことが嫌いなのだろうか。
浮遊感が僕を襲う。
僕は、夢から現実へと引き戻されていった。

重たい。
目を開く前に感じとった。
何かが乗っかっているという感覚ではなく、疲れたというような感覚だ。
僕は目をゆっくりと開けた。
夜には気づかなかったが、目の前に壁時計がかかっている。
僕は時計の針をみた。
六時三十分前だ。
ちょうどいい時間に起きたものだ。
目元が少し濡れている。
目に何か入ってしまったのだろうか。
それとも、泣ける夢でも見たのだろうか。
浮遊感で目覚めたこと以外、全く覚えていない。
よくあることだ。夢の最後の部分しか覚えていないというのは。

「起きましたか?」
ドアが急にがチャリと開いた。
そこには相変わらずの格好をした千秋が立っていた。
僕はうなずくと、ゆっくりと布団から這い出た。
冷たい空気が僕をおそう。
しかし、冷たいと感じられるということは、千秋がうまいこと脳電波を調整したのだろう。
「早速朝食を……っと、その前に洗顔ですね。
では洗面所に……そういえば、あなたは洗顔や朝食は必要ないのでしたね。」
千秋は僕に近づくと、手をのばした。
僕は戸惑いつつもそれに捕まった。
グイッと体が引っ張られる。
少し痛かったが、それもすぐになおってしまった。
僕はつまずきつつも立ち上がると、クチャクチャになっているスカートをのばした。
千秋の手が僕の頭に触れる。
何かと思えば、どうやら寝癖がついていたらしい。
スカートのしわをなくした時には、寝癖もすっかりなくなっていた。
「では、リビングへ向かいましょう。
皆さんもう起きてますよ。」

僕は畳の上に転がった。
皆は朝食をせっせと口に運んでいる。
いいなと思いつつも、さすがに食べ物が胃の中で腐るのは抵抗があるので、何かを食べることはできない。
千草の話によると、今日は僕の服を買いに、商店街へ行くらしい。
この町のお店といったらそこしかなく、大抵のものはそこで買えるそうだ。
ついでに僕を千草たちの通っている学校に入れるらしく、制服などの学校用品も買うらしい。

朝食を皆より早く食べ終わった義人が、僕に万札を二枚渡してくれた。
「一万円あれば、二日分の洋服くらい買えるじゃろう。
そしてもう一万円は自由に使え。」
僕はそれを受けとると、ポケットにつっこもうとした。
つっこむ前に、義人が肩からさげる鞄を僕に向かって差し出した。
「鞄を持っとらんと思てのう。」
義人の準備の良さに感動しつつ、僕は鞄にお金を入れた。
ちょうど皆朝食を食べ終えたらしく、椅子からカタンッと立ち上がった。
「あ、お皿片付けます。」
「おう、よろしくな。」
千秋がお皿を重ねて水道へと運ぶ。
なぜ家事をできるのかというと、それぞれ家事ができないと、ここでの生活に困るそうだ。それで皆家事を習得しているらしい。
義人のところは、千草と交代で家事をしているそうだ。
千草いはく、僕は洗濯とかしか身に付けなくていいらしいけれど。
食事とかが必要ないから。

畳の上でぼーっとしてたら、どうやら千秋がお皿を洗い終わったらしく、僕の頬を指でつついた。
「さぁ、出かけますよ。黒さん。」
千秋は何度も僕の頬をつついた。
僕はこくりとうなずくと、ゆっくり立ち上がった。
玄関先には義人と千草がもう準備を済ませて待っていた。
「何をしとるんじゃ。はよせんか。」
僕はその声に急かされつつも、走らずに廊下を歩いた。
歩いた先には、さすがといっていいのか、新品の僕のための靴が用意されていた。
しかし、困ったことに、これもまた女物だった。
「私の部屋にあった新品の靴ですよ。
安心してください。まだ一度も履いてません。」
戸惑っている僕に千秋が優しく声をかけた。
そういう問題ではないのだけれど、文句を言うしかくもないので、黙って靴を履いた。
「んじゃ、でかけるか!」
がチャリとドアを開けた。
外は朝より少し暖かく、空は雲がぽつぽつあるくらいの晴天だった。
僕たちはカウンターでチェックをすると、少ししゃべりながら歩いた。
「あんたは兄弟とかいるんか?」
「妹がいた。」
「そうか。妹か。いいのう。俺も妹が欲しかった。」
「妹は反抗期が来ると可愛くなくなるって言ってたよ。まだ僕の妹は反抗期来てないけど。」
「そうか。歳はいくつじゃ?」
「七歳。」
「そうか。」
四人横一列になって歩いていた。
自転車の邪魔にならないのだろうか、とか思っていたが、自転車はどうやらあまり通らないようだ。
「つきました。」
千秋の声で顔を一緒に話していた義人から離すと、そこには色々なお店が一本道に接して並んでいる商店街が広がっていた。
「ここから別行動にしましょう。
私は黒さんの制服を買いに行かなくてはならないので。
集合はこの門の前です。」
そういって、四人は別行動を開始した。
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