きみと駆けるアイディールワールド―赤呪の章、セーブポイントから―
 今まででいちばんの長期戦だった。一瞬も気を抜けない消耗戦だった。
 ケアは苛立っていた。わずらわしそうに地団駄を踏む。その衝撃すら、油断ならないダメージを生む。
 ニコルはひっきりなしに呪文をかける。使役魔法の一種だ。対象の筋肉を麻痺させる魔法。でも、ケアは大きい。何度重ねて呪文をかけても、ケアの動きはわずかに鈍る程度。
 ラフはケアの背中に取り付いて、双剣を振るっている。チクリチクリと、針で刺すような攻撃。
 鱗を剥がして皮膚を露出させるつもりなんだ。ニコルの寄生植物を植え込めば、じわじわと体力を削ることができるから。
 アタシの役目は、ケアの気を引いて攪乱すること。ケアの視線の先を走り回る。
 打ち振るわれる竜の前肢をかいくぐる。前肢に剣を叩き付ける。何度も繰り返す。ケアにとっては、小さな小さなダメージだ。爪のあたりにチクチク刺さる棘でしかない。
「でも、バカにしないでよね。爪って、剥がれると痛いのよ!」
 アタシはコマンドを叩き込む。細身の少女剣士のスキルの中で、いちばんの馬鹿力を引き出せるのは、剣を闘志でぶっとい槍に変化させて。
“Bloody Minerva”
 渾身の力でケアの前肢に突き入れる。
 ケアの前肢の、中指の爪と肉との間に、深々と剣が突き刺さった。何十回目かの攻撃で、初めて手応えがあった。
 ケアは悲鳴をあげた。斬り払われた爪と青い光のような血が雪の上に落ちた。
「よ、よしっ!」
 鈎爪の一本を失ったケアは、真上からアタシをにらんだ。苦痛と怒りのまなざし。青く血走った目の圧倒的な迫力。
 まずい。本気で攻撃される!
 カッと開いた巨大な口が、尾の一振りが、さらに次は、後肢、尾、前肢、前肢、口が、アタシを襲う。
「このぉ! キリがないじゃない!」
 かわすだけで精いっぱいだ。かわしていてさえ、ダメージ判定。風圧と衝撃波が、じりじりと、アタシのヘルスポイントを削る。ダメージだけじゃない。激しく動き回るほど、スタミナポイントは消費されていく。
 ケアの背中によじ登ったラフが、必死に双剣を振るってる。魔力の風を立ち上らせながら、ニコルが呪文を唱え続ける。
 それでも状況は好転しない。ケアのヒットポイントは減っていかない。クリティカルヒットを繰り出しても、弱点のはずの炎属性で攻めても、バトルの先が見えない。
 だんだんと、アタシの胸が塞がっていく。黒々とした絶望が見え始めてる。
 ダメかもしれない。
 何百回も振るい続けた剣が、ついに、へし折れた。
 ニコルが雪の上に膝をついた。魔法が途切れる。ケアの全身がまばゆい銀色に輝く。
 翼が打ち振るわれて、冷風が生じた。激しい動きと、すさまじい風圧。ラフが吹っ飛ばされる。
 銀髪を振り乱して、ニコルが再び呪文を唱え始めた。雪に突っ伏したラフは動かない。
 負けたら、ホヌアからハジかれる。今までホヌアを旅した記録は、なかったことになってしまう。ラフとニコルと一緒に駆け抜けた、かけがえのない冒険の記録が。
「イヤだ。そんなのは、絶対に、イヤだ!」
 ケアの巨大な頭がアタシに迫る。カッと開かれた巨大な口に向けて、アタシは跳んだ。ケアの口に飛び込む。白銀の舌がアタシをとらえる。
 剣身が半分になった剣を、アタシは連続で振るった。
“Wild Iris”
“Cruel Venus”
“Cruel Venus”
 闇雲に、めちゃくちゃに、これ以上ないスピードでコントローラを叩く。
 ケアが絶叫した。
 アタシは、千切れた舌と一緒に吐き出された。白銀の舌は青い光となって消滅する。肉体の一部を失ったケアのヒットポイントが、目に見えて減った。
 折れた剣はどこかに飛んでいった。
「ざまー見なさい!」
 アタシは強がった。でも、もう武器がない。
「……ヤベぇ。やられたかと思った」
 ラフは、雪の上に腕を突っ張って、ゆっくりと体を起こした。
「アンタ、まだ無事?」
 アタシはラフを振り返った。ラフは立ち上がった。
「やっぱ、ケアの設定をチートにしすぎちまったか。まあ、いいさ。オレには奥の手があるんだし」
 ラフは笑った。胸が痛くなるような、キレイな笑顔。
 アタシはハッとした。呪いのリミットは、あと一回。それを発動したら、ラフは。
 待って!
 アタシが叫ぶのよりも先に。
「バイバイ、シャリン姫さま」
 呪いの力が解放された。
< 74 / 88 >

この作品をシェア

pagetop