きみと駆けるアイディールワールド―赤呪の章、セーブポイントから―
そして、プロローグ
 夢を見ている。
 長い長い夢を見ている。
 おかしなもんだね。理論的にはさ、おれ、完璧に意識がないはずなんだぜ。


 秘密基地のボックスで雑談する真夜中。締切間近なのに作業が終わらなくて、徹夜覚悟で詰めてたときのことだ。
「妹さん、十三歳だっけ? 例の件の後は、エリートアカデミー、ちゃんと通えてる?」
「一応ね。でも、つらそうだった。妹も親もね。どうにかしたいなぁ」
「じゃあ、妹さんと一緒に住んでやったらどうだ?」
「ぼくが?」
「そう。大学卒業して、仕事に就いたら」
 黒縁メガネの奥の目がパチパチとまばたきをする。
「考えてみたこともなかったよ」
「考えてみとけよ。大事な妹さんの将来のためにさ」
 我ながら、お節介だ。ひとさまの人生にあれこれ口出しするなんて。おれは、そんなおえらい人間じゃないのに。
 やつが何かを言いかけるのを、おれは先回りした。
「すまん。出過ぎたことだな。余計なお世話だった」
「え? いや、そんなことない」
 お人好しな笑顔に、おれもつられて笑う。
「前チラッと見たことあるけどさ。妹さん、相当な美少女だよな」
「はぁ? いきなり何を言い出すんだよ?」
「チャンスがあったら会ってみたいなー、なんてな」


 やつは、おれのわがままを聞いてくれた。彼女に会わせてくれた。


 ゲームの中の、海辺のリゾート。伝統的な祭の夜。
 波打ち際にぽつんと座って、彼女はささやいた。
「生きてる意味、わかんない」
 おれの隣で、やつは息を呑んだ。コントローラを持つ手が震えていた。
 どんな言葉をかければいい?
 おれには言葉しかない。彼女を抱きしめることも、やつの肩を叩いてやることもできない。うまい言葉が見付からない。言葉しか、おれには残ってないのに。


 浜辺の木陰。波が打ち寄せる音。南国らしいBGM。
 手をつないで、走って。二人きりになって。
 息が苦しいくらい、走り回る鼓動。
「呪いはお姫さまのキスで解けるって、相場が決まってるだろ?」
「ち、中途半端はイヤなの。ミッション、まだ残ってるじゃないのっ」
「クリアしたら?」
「約束は……約束だわ」
 OKもらっちゃったよ。やつがチラッとおれを見て、珍しくすねたような顔で、そっぽを向いた。


 タッチパネル型コントローラに触れた指が、知らず知らずのうちに震えてた。ディスプレイが赤く濁っていく。
「見ろよ、このパラメータ。限界を振り切って、エラー表示だぜ」
 リップパッチのマイクが拾ったおれの声は、でも、アバターのセリフとして反映されなかった。スピーカから聞こえたのは、おれのものではない声。人のものではない咆吼。
 オレが、おれじゃなくなった。
 死ぬって、たぶん、こういうことかな。


 何もかも自由の利かない体。一回、体験したとおりの。
 涙だけは流れるんだ。それを抑えることもできないままに。
「あたしのこと、信じてよね。当たり前でしょ? あたしにできないことがあるって言うの?」
 決壊しそうに張り詰めた目は、この世界の何よりも美しい。ごめんな、言葉を返すことができなくて。
「あんたは黙って眠って。とにかく生きてればいいの。生きててよね」
 わかってる。
 だから。


 おれの呪われた唇は、凍り付いたまま、お姫さまの口づけを待っている。
 ただ待っている。まだ待っている。
 この遠大なプロローグが終わる日を、おれは待ち続けている。

【了】

BGM:BUMP OF CHICKEN「車輪の唄」
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