裏腹王子は目覚めのキスを
「旅行?」
『うん。気分転換に、どこか海外のリゾートにでも』
健太郎くんの声は相変わらず淡々としていて、旅行を考えている人にありそうな弾んだ気配も浮ついた空気も、一切ない。
彼の言葉はたんなる情報として、わたしの耳に届く。
考えてみれば、健太郎くんと付き合っていた二年間のあいだに旅行に行ったことは一度もなかった。
そのせいか、彼が発した『旅行』という言葉自体に現実味がなくて、わたしはしばらく何も言えなかった。
『羽華子、聞いてる?』
「あ……うん、でもわたし、そんなに貯金ないから」
そう答えると、電話越しに健太郎くんのため息が聞こえた。
『じゃあ、羽華子でも支払えるような、近場のとこでもいいから』
「……うん」
『考えておいて』
そう言って、健太郎くんは電話を切った。
フローリングに座り込んだまま、わたしはしばらく放心した。
携帯を握りしめたまま、レースのカーテン越しに遠いビル群をぼんやり眺める。吹き込んだ風に、外を透かしていたレースがふわりと浮かんだ。
旅行なんて、考えたこともなかった。
仕事も決まらず、貯金もそんなにないうえに、幼なじみにおんぶに抱っこな状態で、旅行なんて行っていいのかな……。
思い返せば、旅行という形での遠出は、もう随分していない。
うちの両親はそろってインドア派だから、祖父母の家に遊びに行く場合を除けば、わたしも弟もほとんど家族旅行の経験はなかった。
だから旅行といえば中高の修学旅行や友達と出かけた日帰り旅行くらいしか思い出がない。