恋の捜査をはじめましょう

独特の、古紙の香り。
両脇に高くそびえ立つ…一面の壁。


さほど興味のないソレに手を伸ばし、パラパラとページを捲っては…また、戻す。


静寂を保とうとするこの空間とは‥裏腹、窓を仕切りに叩く風の音だけがずっと、響き渡っていた。



「懐かしいなあ、オイ。」

隣りに立つ、ガタイのいいオッサンが手に取った、一冊の文庫本。その表題を眺めながら、彼はニンマリと笑みを浮かべた。


「『鑑識の神様』の著書だ。昔、世話になった先輩に借りて読んだことがある。」

大男‥、藤橋主任は、懐かしそうに目を細めては、冒頭部分を暫し読む。

「相原さんなんて…年代的にもしかして愛読してたんじゃないか？科学捜査などまだない時代の話だ。鑑識でなくとも、この時代の警察官の情熱に‥感化されたもんだよ。」


「へえ―。それは興味深いですね。」



俺達が今いるのは、市の公共施設。
さほど大きくもないそこには、図書館や…小規模な講演会や演奏会が催されるホール、それから…幾つかの会議室などが設けられていた。

その中の、ひとつ。

図書館の…棚に挟まれた、狭い空間。


時代背景が垣間見える…表紙イラスト。
黒電話に、煙草の置かれた…灰皿。

初版は…どうやら、昭和61年。
けれど…それが記載されているページの右隣りには、これが更に30年近く前に発刊されたものを新たに編集した作品であることが…記されていた。


思ったよりも、ずっとずっと昔の話のようだ。

俺の手に渡ったのも、何かの…縁なのか。

借りて来ようかと少し悩んでいると、終止視線の先でとらえ続けていた、ある人物が‥移動し始めるのが見えた。


「イヤ、やっぱり今読もうかな。」


藤橋主任に目で合図を送って。

その人物との距離を保ちながら…、俺は、テーブル席へと向かうことになったのだった。





大きいテーブルの一番端に座った男。

当該人物とは、1つテーブルを隔て、斜めの角度から…向き合うような形で、椅子に座る。


現在、昼の…2時。
荒れた天候のせいで、昼下がりとは思えない暗さ。蛍光灯のぼんやりとした光が、やや暖かさを注いでくれる格好だ。
暖房が…手元をポカポカとさせて、けれど、足元に流れる空気は…やはり冷たくて、襲って来るであろう眠気を、容易く吹き飛ばす。

一方の藤橋主任は、男の背後を見守る形で、まだ本棚の間を…右往左往していた。





男は、周囲を警戒するような素振りも見せず、まるで本の世界に浸っているようだった。

本の表紙は‥こちらからは、確認出来ない。何故なら、彼はテーブルの面に押し付けるようにして‥それを置いているからだった。


藤橋主任が、覗き見ようとチャンスを窺ってるのか‥、その視線が、しきりに動いている。




大荒れの天候。こんな日に、わざわざ出掛けようとする者など‥ほとんどないだろう。

仕事をする者なら、今頃‥会社の窓の外へと目をやって、帰宅の際の心配でもしてるかもしれない。

子連れの主婦ならば、まずは、外出を控える。

学生ならば、授業や講義を受けている時間帯か？

もし大学生ならば、空き時間はあれど‥在籍する大学に、充実した図書館でもあれば、ここが知識の宝庫になるとも‥思えない。

そのくらいに、規模の小さい…図書室のような部屋なのだ。

現に‥、ここに居るのは。

椅子に腰掛け、暇そうに欠伸をしている‥司書の女性と、場慣れしていない‥不審なオッサン2名。

それから‥‥

如何にも真面目で賢そうな雰囲気を醸し出した、若い男‥。

それだけだ。