恋の捜査をはじめましょう
どこかで線を引かねばと思って、ある一定の距離を保っていてもなお、いとも簡単にソレを飛び越えて…人の懐ん中にスッと入り込んでしまうのは、良くも悪くも、ヤツの潜在的な…能力であろう。


「……確かに返却を承りました。さて、じゃあ…今夜もぜひ寝れない夜を。」


俺は自身のポケットの中から、しわくちゃになった1枚のメモ用紙を…誰にも悟られぬうちに、ヤツの掌の中へと収めた。

「なんですか、これ。まさか、領収書では?もしやお代をとるおつもりで?」

「…何でだよ、馬鹿。」

鮎川がソレを確認しようと、視線を落とす。


「待て。……そのまま、手ェひらくな。」

咄嗟に…ヤツが握る拳に覆い被せるようにして、俺はぎゅっと…ヤツの動きを制した。


「……?」

顔を真っ赤にした鮎川が、困惑した小さな声で…その真意を問う。

その距離、ゼロ。

小さい手は、その行方に戸惑っているのだろう。

ただじっと、汗が滲む程に…握り締めるばかりだった。



「鮎川、よく聞いて。」


「……なんですか?」


手を拘束したことが…俺の次の行動を、優位に立たせていた。


ヤツの髪を…掻き分けて露になったのは、やはり真っ赤に染まった耳。

そのすぐ傍で、話し掛けるのは…無論、些細なイタズラ心だ。


「お願いがある。それを…、調べて欲しい。」

「……?」

「いい?」

ふうっと息を吹き掛けると、ヤツの肩が…ピクリ、と僅かに動いた。


らしくもない色香漂う表情。

迂闊だったか。
捕らわれてしまっているのはヤツの方なのか、それとも…?


自分から仕掛けた筈なのに、思わぬ罠にハマってしまうには…まだもう少し、何かが足りない。


「……じゃあ…、ソレは頼んだから。」


「…待って。」

早々に席を立った俺の背中を追うように…、ヤツの小さな声。


「柏木さんは、どこに?」


「…俺は…、『幽霊』を探しに。」

やはり、迂闊であったのだろう。
つい、後ろ髪ひかれて…振り返った視線の先には。


両手を胸元に垂らして、おまけに、前髪で…だらりと顔を隠して。
更に追い撃ちをかけるようにして…血走った瞳をそこからギョロリと覗かせる、うらめしそうな……女。


「……。鮎川。」

「…………。」

「昇天するにはまだちと早い。」

「…………。」

「今夜、ベッドの上で。」

「…………!ちょ、なに言って…!待って、誰も真に受けて駄目だから、そういう意味じゃあ無いって。」


ニヤける迫田たちへと慌てて弁明するけれど、そういうのが裏目に出るってこと、もう少し学習した方がいいと思う。


「怪しいッスね。内緒話なんかしてー。『そういう意味』って、どういうイミですかー、主任?」

案の定、部下に突っ込まれる哀れな結果となった。



けれど……それは、あくまでも表面的な話。
一種のネタのようなものであり、本当に疑っている者はいない。



俺たちの間には、確かに誰も知らない秘密はあるが…
それを悟られることは、ない。


まるで暗黙のルールのようにして…
程よい線引きができているから。

その立役者は、取り繕うのが妙に上手いのは、



どちらかと言えば…鮎川の方だ。







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