恋の捜査をはじめましょう
背後でドアが閉まる音がするのとほぼ同時に、鮎川は絶望に打ちひしがれたような顔つきで…大きく息を吐いた。
「ヤロウ…、前科1犯め。」
予想を上回る惚けっぷりに……、根負けしたのは、俺の方だ。
「前科持ちのカメムシってどんなんだよ?」
笑いが先行して…言葉の最後の方が、しり窄みしてしまった。
人目もあるし、いつまでも手を握っているわけにもいかない。もう少し楽しみたかったが、不本意ながらここで…ネタばらしだ。
「誰が好き好んで、触るかっての。」
手を離して、ヤツの目の前に両方の手を広げて見せる。
鮎川は俺の左右の手を交互に見て、それから…足元をキョロキョロと探すように見渡して、最後に自分の掌のなかを…恐る恐る見定めると、「はあ~…」と、ますます大きな溜め息をついた。
「…アンタの意地の悪さは本っ当、見上げたもんだわ―。」
一気に安堵したのか、思いの外早く…公私の切り替えスイッチが入ったようだ。
「口の悪さなら昨日誉められたけどな。」
「……?しょうもないこと誉められてんじゃないよ。ってか、誰も誉めてないし。」
安心しきったしたのか、はたまた呆れたのか。
通路の壁に寄りかかるようにして、背中をくっ付けると。
一息ついて、こっちをチラリと…覗き見るのだった。
「リアル過ぎなんだよね、いちいち。」
「……?カメムシのこと?」
「それもそうだけど、…………。でも…いちいち引っ掛かってるのは…、こっちか。」
俺が掴んでいた方の手を、握ったり広げたりを繰り返すのは、感覚を…取り戻そうとしているのか?
思いのほか、力が入ってしまっていたことに…気づかされる。
それもそうだろう。かくいう俺の方も、ひんやりとしていた筈のヤツの手が、ほんのりと温かくなっていた…その感覚が、まだ手の内に残っているのだから。
「「……………。」」
微妙な空気が…、二人の間を流れた。
多分、もう色々と…限界なんだと思う。
こうやってヤツをからかうことも、何でもないフリをしていることも、
少しだけ間の空いた、この…距離感も。
そう、多分、お互いに。
言いたいことが何でも言い合えた時期は…もう、過ぎてしまっているのだろう。
事件も去ることながら、こっちもいい加減、白黒をつける時なのかもしれない。
けれど、決定的な何かが足りないんだ。
俺は、勝てない勝負には挑まない。事件同様、確固たる証拠が…欲しい。
ヤツの何度目かになる欠伸を遮るようにして、俺は…話の口火を切った。
「……みんな口には出さないけど…、結構しんどいんだろうな。藤橋主任なんて、気づけば家族の話ばかりになってるし。」
「…そう…だろうね。」
「迫田なんて、ことあるごとにトイレに駆け込んでる。大丈夫か、あいつ。」
「ハハ、ホントだ。」
「アンタは老化現象起こしてるし。」
「うんうん、腰が痛いからねえ、労らないと。」
一つ一つに相槌を打つその態度が…、どこか上辺ばかりのもののように思えて、次第に言葉に詰まる。
「なあ…、事件が解決して、時間に余裕が出来たら…、アンタは何したい?」
「私?そうだなあ…、朝は出来るだけ早めに出署して、相原さんと健康促進に勤しむかな。」
「何だソレ。いつもと変わんないじゃん。」
「まあねー…。でも、それがいいんだよ。静かに朝が来て、程よく忙しく一日が過ぎる。それが一番自分らしく居れて、楽なんだよ。」
「……ふーん。」
「結局さ、休みの日だってそうそう遠くに出かけることもないし、報告だってしなきゃいけないじゃない?それに、プライベートでも、怪しい車両があれば、ついナンバー見ちゃうわ、携帯の音にドキドキするやら、どうも落ち着かないんだよね。公私混同するわけじゃないけど、生活のベースが仕事にあるって…かえって実感しちゃう。世の中が平和なら、私も平和。単純に、のんびりとした日が続けばそれだけで…十分。」
「悟り開いてんなあ、オイ。」
「何よ、アンタこそ…どうなの?」
「………そうだな…。朝はそこそこ早く起きて、取り敢えず、出勤。」
「…ちょっと、私と変わんないじゃん。」
「そう?……デスクに座ったら、妙な体操しているヤツを背後から視姦して…」
「…………。」
「そーだな、昼は食堂で漫談している寂しいヤツの話相手になってやろうか。」
「…ん……?」
「…で、夜は助手席でタバコふかして帰る。」
「……。……アンタ、徒歩でしょうよ?」
「まあ、そうだけど。」
どうしてこういう時だけ、ヤツとは意見が合うんだろうな。
例え仕事中でも、
プライベートでも、
アンタが遠慮もなく視界に飛び込んで来るんだから…
どうやったって、切り離せない。
「……けど、誰かさんが…、車に乗せてくれるんじゃないの?」
ほんの欠片でいい、
確固たる証拠が、欲しいんだ。