恋の捜査をはじめましょう


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何回目になるのか、その日の捜査会議は…これまでとはまた違う、緊張感が漂っていた。

署長の貧乏揺すりは影を潜め、岩のように硬い表情を維持したまま…秋川管理官の声を、ずっと黙って聞いているようだった。

米山一課長が椅子に座り直す小さな振動の音が…何度か耳に届いて、ここで初めて、彼にその椅子は小さかろうと…気づかされたのだった。


秋川管理官は、相変わらず淡々と、全捜査員に向けて…捜査状況の報告と、意見の陳述を求める。


状況は、いつものそれと余り変化はなかった。

所轄の刑事は、本部の人間が発言するのを待ち、時折ペンを走らせることに…勤しむ。

手元にある、この捜査資料に…次第に増えていく、膨大な情報。


この中の、何処かに。
ホシに繋がる重大なヒントが…隠されているのか。

文章と格闘するのは、本来私の得意とすることではない。
明け方までそれをしていて、どんなに…飽き飽きしていようが、疲れ目だろうが、まだ開眼出来ているのは、意地と根性以外に何があるのか。

才能など、何一つない。
相原さんみたいな一途な探究心も、柏木のような…冴え渡る閃きも、持ってなどいない。

千里眼など持てる筈もない。
地道に、地味に、努力を重ねる以外の方法を知らない。

ただ、何か……。
一つ、ただ、一つ見つけることで、なし崩しであろうが、一歩一歩、解決へ向かう糸をたぐり寄せることが…出来ればいい。



「………。……おおぐま…、か。」

視界に、ぼんやりと…米山一課長の姿を映していた。

クマ、といったら、どうにも彼の風貌が…イメージに重なるせいでもある。

気になるのは、その点に限ったことではない。
先程、柏木が…この「おおぐま」から何かヒントを得たのに違いなかったからだ。


しかしながら…、何故であろう。
一方の柏木と言えば、相も変わらず…聞き手に徹していて、ここでヤツの声ひとつ、聞いたことは…ない。

刑事第一課の部屋で、はたまた…私の前で雄弁に物語る時の、饒舌は…何処へ?

ペアを組む藤橋主任が、柏木の言いたいこと全てを代弁しているようにも思えない。

ペンを走らせることも、ない。
そして、それでも私が嫉妬してしまうくらいに…ピンと伸びた背中を、まざまざと見せつけるのであった。


…が、しかし。
一瞬…、柏木の背中が、少しだけ後方に…反り返る。

まさかの寝オチでカックンと来たのかと思いきや……






それはそれは、大層悪目立ちの騒音であった。



「ぶえ~くしょん!!!」



緊張感をバッサリぶった斬る…何とも酷いくしゃみ。
身内の者の前なら未だしも、秋川管理官の発言の途中とあっては、無礼千万。

ところが、それで留まるようなタマでもなく…

両手をぐんと高く上げてノビをすると…、いかにも退屈そうに、首の後ろをさすり始める。

柏木の『癖』。



「柏木くん。」

ここに来て、沈黙を保っていた米山一課長が…名指しでヤツに指摘する。


「失礼しました。…極度の冷え性なんです。」

これ見よがしに手をさすり、最後に「はあ~」と吐息で温めるような動作をするけれど、こんな茶番を見抜けない相手でもない。


「ならば私は、極度の暑がりなんだろうな。」

どんな対抗心だろうか。
一課長もまた、わざわざハンカチを取り出すと…、額に滲む汗を拭い始めた。


恐らく、私を含む捜査員一同は…ツッコミどころ満載だと思っているだろう。

何故ならばこの会議室、適温に保たれていること間違い無し。



それなのに、誰も何も言えずにいるのは…
一課長が、機転を利かせるような発言をしたからか、それとも…事を荒立てたくないからなのか。

いずれにしても、皆真摯な姿勢で挑む会議である。
捜査員いち個人の体質など、取り上げる話題でもない。

しかし。
この二人のやり取りに、違和感を覚えた者もあるのではないだろうか。


先ず第一に、一課長が迷いもなく『柏木』の名を呼んだ事。


多くの捜査員が存在するなか、ましてや目立った発言もなく…直接的な接触もなかった筈の柏木の名を、知っていること。

第二に…、注意を促すでもなく、無視をする訳でもなく、わざわざ応対していることにも、疑問を感じる。


それから。
何故だろう…、この二人。


互いに一歩も譲らない様子で…ただじっと、相手の次の一手を待ち望んでいるかのように。

視線を絡ませ続けているのだ。












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