恋の捜査をはじめましょう
お互いの…腹の探り合いは。
まだ、始まった…ばかり。
夜が明けるまでは…まだまだ長いから。
この、こそばゆい思いに…蓋をして。
しっかり捜査を…続けていこうじゃあないか。
「鮎川。」
「んー?」
「アンタ少しは成長したじゃん。」
書類に判子を捺す私の手元をじっと見て。
柏木が…ポツリと呟く。
「覚えてんだろ?あん時、オニみたいな量の書類の記載に、判子捺し。何度不明瞭な捺印して叱られてたか。ここぞって時に、アンタはよくヘマしてたよな。」
「………。…ああ、黒歴史を掘り起こさないで。埃の1つつけない、朱肉の僅かな擦れを防げるような几帳面性格でもなけりゃあ、器用でもなくて、苦労したんだから。」
「教官の怒りの矛先だった。俺らの隠れ蓑…イヤ、何度俺らがフォローしたことか。」
忘れかけた…、いや、忘れようとしていた私の情けない駆け出しの時代の情景が、走馬灯のように…脳裏に甦って来る。
分刻みのスケジュール。
ご飯の味を噛み締める間も、風呂で鼻歌唄うことさえままならぬ…毎日。
管理されている時間の中、常に私の中にあった、焦燥感…。
けれども、その厳格さが、今の自分に生かされている。
寸部のズレも、塵の1つも、見逃してはいけない、重要な証拠となりうる世界なのだから。
「……何を言おうが『言い訳するな』『嘘をつくな』『辞めてしまえ』の3大常套句だったね。」
「懐かしいな。……ああ、俺もアンタに1度言ったことがあったっけ。」
「……え?」
「…『え?』って、…え。覚えてない?」
「……何?何か言われたっけ?」
「「…………。」」
微妙な間が走る。
柏木は、溜め息をつくかのように長く息を吐くと…。
「まあ、覚えてないなら、その方がいいかもな。」
とそういって、私の額を…軽く弾いた。
「とはいえ、まだまだネタはあるしな。」
「…ん?」
「アンタの『やらかし』。暫くそれで楽しめそーだわ。」
ヤツはニヤリと不敵に笑ってみせて、さもそれを楽しんでいるかのようだった。
「やめてよ、ちょっと。これでも今は、後輩たちに少しは…」
「どうやらそーみたいだな。だから、だよ。アンタが慌てふためくとこ、久々に見たいもんだね。」
「悪いけど、もうそんなヘマはしない。」
「どうかな。」
「……しない!しないと…思う。」
尻萎みになった、抵抗の言葉が……
自身の過去の姿に重なって、自信の無さを…露呈する。
「アホか。何で疑問系なんだよ?……つーか…、眠い。俺ちょっと仮眠とるわ。」
「え。もう?!アンタねえ、レディファーストってもんがあるでしょうよ。」
「…レディ?え。何処に?」
「………。」
「関係ねんだよ、ここじゃあ男も、女も。」
「それは、まあ…そうだけど。」
「ナニ?今更優しくしてもらいたいなんて生温いこと思ってんの。」
「いえ、結構です。そんなのされたら鳥肌もんです。」
「だよなあ、ウン。言っとくけど、元衛生係の俺としては、他人の体調に気を配って、自分を蔑ろにするやり方は…元来、得意じゃねーんだよ。」
「……そーいや衛生係だったっけ。」
「世話してやった恩を忘れたか。」
「恩きせがましい優しさほど鬱陶しいものもないよね。てか、女子部屋の私はアンタの係にお世話になっておりません」
「……そーだっけ。それもそーだ。」
柏木はテキトーなそんな呟きを最後に、あとはデスクに顔を突っ伏して。
静寂な部屋に…穏やかな寝息を響かせる。
「この、マイペース男め。」
襟足の癖が、こっちを向いて。
デカくとも小さい子どもみたいに…健やかに寝てやがるんだから、憎めど憎めないヤツ。
私は柏木の癖っ毛を、ピョンと指で弾いて。
それからまた、書面へと…立ち向かう。
私は本当は…知っている。
どんなに多くの失敗があっても、それをフォローする仲間がいたからこそ、辞めずに警察官の重たい門を潜り抜け、独り立ちできたことを。
同じ教場生同士の絆は、辛い日々を乗り越えてこそ、いつまでも切れることのない、強さが…あるんだって。
だから。
ここでは誰も知らない、二人だけの秘密があっても…
振り回されるのも…
そう悪くはないって、思えるように…なるまで。
「仕方ない、相方だからね。付き合ってやりますか…。」
最後にポン、と判を捺して。不意に「ふぁ~…」と出た欠伸を途中で飲み込んで。
ヤツがいつ目を覚ますのか、少しだけドギマギしながら…
跳ねたアタマを、チラ見するのだった。