恋の捜査をはじめましょう
火事現場では物が焼け焦げた独特の臭いと…、煙の臭い。なんとも言えないものが…そこにはあって。
己の嗅覚との…格闘。
ここに焼死体があると更に気が滅入るけれど。幸い…、この火事による怪我人等はいないらしい。
黄色いテープをくぐり抜けて、誰よりも早く現場に足を踏み入れるのは……、我々、鑑識である。
よく刑事ドラマで「鑑識!」…なんて刑事が鑑識を呼び寄せるけれど。
そんなことは…、ない。
むしろ、鑑識よりも先に、下手に誰かが侵入して現場を荒らしたり、証拠がなくなってしまっては困る。現場保存が…、第一である。
「刑事」と呼ばれる私服の警官が立場が上?
いえいえ、そんなこともございません。
私達警察は……、階級社会。
県の所轄の警察署の規模くらいであれば、現場を訪れる者の中で一番立場が上の人は…
大抵は、「警部補」という階級の人である。
もちろん、色んな課にその立場の者は存在する。つまりは…、だ。ヤツはあくまでも…階級が上であって、そういった意味では…敬うべき存在なのである。
慎重に、ゆっくりと…。
落下物や焼失物を取り除きながら、出火当時の現場に近づけるための作業を施し…出火箇所を探る。
消火にあたった消防署員の証言と、家の住人、目撃者等の供述が…ここでは、重要になる。
「……。鮎川主任、そこちょっといいですか。撮影します。」
暗い現場に…、カメラのフラッシュが光る。
撮影しているのは、同じ鑑識員、写真係を担う…松本巡査。
高校時代、写真部で活躍した腕が買われての…任務だ。
「火元の確認…急ぐぞ。」
鑑識帽のツバを後ろに向けて、黙々と仕事をするのは…相原係長。
相原さんもまた、警部補。
小柄ながらに、貫禄のある…不思議な人。
職人がたきで、仕事中は一切の文句は言わない。
その生真面目な背中が……妙に大きく見える。
直属の部下になってまるまる2年。
私の憧れでもある彼は、3月で定年を迎える。
署内では一番年上で、(課長よりも署長よりも上)誰からも信頼される人望の厚いこの人から……私は多くのことを学び、少しでもその技術を真似たいと…盗み見を繰り返してきた。
私の父親と同い年。
署長らが愛称で『長老』なんて呼ぶのも…、彼の寛大な人柄が窺えるところだ。
署内での、『長』であり、『父』のような…存在であった。
「年の瀬だってのに…事件が多いな。そうい
えば今年の年明けも病院だったな。」
「独り暮らしのおじいちゃんの変死…でしたっけ。」
「カウントダウンの瞬間は、解剖の立ち会いで…仏さんを前に、さすがに新年を祝う気持ちにはなれなかった。」
「…………。」
「独りは…寂しいもんだよなあ…。お前も仕事熱心なのはいいが、起こしてくれる相手くらいいた方がいいぞ?」
「…………!そう…、ですね。」
脳裏に一瞬……
あの人…じゃなくて、柏木晴柊の顔が浮かんだ。
「いやいや…、アイツは違うでしょうよ。」
今朝の珍事のせいだ。
ぶんぶんと首を振って、己の思考を否定するのに夢中になっていると…
「ホレ、仕事しろよ?」
帽子の上から、相原さんの痛くもないげんこつが…落ちてきた。
その姿は、一瞬にして…「父」の面影を遮断した、プロフェッショナルな職人。
慈愛に満ちた…瞳と、鋭い警察眼と、憧れずにはいられない…存在だ。
「……寂しくなるなあ…。」
「あ?何か言ったか?」
「イエ…。」
彼が居なくなったら、と想像するだけで…寂しくもなる。
けれど…そうも言っていられない。
縦社会で…こうして男の人と肩を並べて、ようやく今の地位を築いたのだ。
独身女と言えど…強くあらなければいけない。