恋の捜査をはじめましょう
「………いたっ…。」
左の手の甲に…くっきりとついていられていられてた、おばあちゃんの歯形。
それから、振り返るとそこに。
横たわっている…自転車。
倒した瞬間に、かごから落ちてしまったのだろう。
大きな…鞄が、その横に…、転がっている。
すると……、
顔だけ振り返って、こっちを見下ろしたお兄さんが…「大丈夫ですか。」と、声を掛けてきた。
「すみません、ありがとうございます。……あれ?」
差しのべられたその手は、私の腕をとって、身体を起こしてくれる。
空の薄暗さに…目が慣れてきた頃。
この男性にどこか見覚えがある、と…思った。
マスクで…余り顔が、わからないけれど。
「……自転車は、貴方の…?」
「いいえ。」
私は急いで立ち上がろうとするものの、腰の痛みが…そうさせては、くれない。
「おばあちゃん!」
女性の叫び声に…ハッとして。
自分が今、手放したものに…気づく。
「すみません、ありがとうございます!」
痛みは…、二の次。
私は…腹に力を込めて、叫ぶ。
「柏木い~ッ!!!」
柏木は…一瞬にして。
身体を…翻す。
火事現場へと戻ろうとするおばあちゃんを…真っ正面から受け止めて。
『大丈夫だ』と言わんばかりに…、コクリ、とひとつ頷いた。
ホッと…胸を撫で下ろす。
気づくのがもうちょっと遅かったから…。
とんでもないことに…なっていたかもしれない。
私は…、柏木らのいる場所まで何とか…辿り着いて。
それから、おばあちゃんの身柄を…受け取ろうとする。
しかし…、腰を痛めた今、身体に…上手く力が入らない。
これでまた、彼女が…暴れだしたら…?
一抹の不安が…、頭を過る。
「鮎川…?お前、どうかした…?」
勘の良い柏木が、それに勘づかない筈が…、ない。
「………。んー?どうかって…、どうもしないよ?」
パッと視線を逸らし、地を…見つめながら、応える。
しかし、
1度感知した…危機感は。
まだ、アンテナを…張ったまま。
不意に視界が捉えたそれに……、敏感なまでに、反応したのだった。
「………………。」
道路脇の側溝手前に出来た…小さな水溜まり。私の靴が、その中に…ハマっていて。
何だろう?
街頭の灯りで照らされた水面が……膜を張っているかのように、まだらに……見える?
「……油……?」
おそるおそる、顔を上げて……
周囲を見渡す。
「…………!」
目についたのは、先に見える…屋外用の…ホームタンク。
サビついて、いかにも老朽化しているような…風貌。
燃えている家、その駐車場に…勾配アリ。
「柏木…、灯油…か、わからないけど。油が流れてる…。」
「……は…?」
「おばあちゃん連れて、早くこの場を離れて!」
雪の多い…この街で、このようなタンクが設置されているのは…よく見る光景だ。
炎が引火する、その可能性を…否定は出来ない。
柏木は、すぐさま強引におばあちゃんを連れて、その場から…離れていく。
「……オイ、鮎川……?!」
背中に呼びかけられた…声に。
その、主の…元に。
すぐにでも、駆けつけたいと…思っているのに。
目の前の…熱気に。
砕けるような…腰の痛みに。
足が…すくんで、動くことが…できなくなっていた。