HとSの本 〜彼と彼女の夢〜
「何も浮かばないか。ふむ、君は夢のない子なのか」
 否定したかった。
 けれど反論の余地がない。
 何も言えなかったわたしに、抵抗する意味も力もない。
 それが悪いことだ、と私は思わないが。
 先生が口を開く。
 蒼い瞳はわたしを見ていながら遠いどこかに思いを馳せていた。
 そんな、少し虚ろな瞳。
「夢がない、叶えたいことがないというのは、君が満たされているからだろう? 心が充たされているから、果たしたい願いも浮かばない。そんな生き方が、充実した日常を送っていられるのならば、仕方のないことではないかね」
 先生は、わたしが満たされている。そう言った。

 赤い羽根と罵られ
 禁忌の子と石を投げられ
 化け物と怖れられ

 この世から不要だと、
  切り捨てられたこともある

 そんなわたしが、本当に満たされているのだろうか。
 答えは出てこなかった。

 ただ、胸の中で
  深く沈んだ何かがあった。

「手間を取らせてしまったな。せっかくの昼休みに」
「先生もお仕事ですから」
「その言い訳は好きじゃない」
 苦い顔をする先生を置いて外へ出た。


 ――夢がない、か。
   そんな顔ではないな。
   自覚していない希望。
   捨て去るんじゃないぞ。


 願いと夢は、
  喩え叶わなくても
   抱いていたいものだ。
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