HとSの本 〜彼と彼女の夢〜
 そこは一種の檻だった。
 甘い香りで縛り付け離さない、時間を搾り取る食虫植物。
 時間は痛手ではない。
 彼らは限りなく無限に近い生を約束されているから。
 時間はいらない。
 奪われても痛くない。
 その姿勢は、とても哀れだ。
 湧くほどあるから掃いて捨てる。そんな思考で、そんな思想で、『天使』になんてなりたくない。

 勤勉な容疑者を詰め込んだ牢獄を見る趣味はない。
 興味はなく、その場をさろうとし
「――なるほど。やはり彼女は例外か」
 彼の声に足を止めた。

 校舎の中でも最端に位置する塔。ガラス窓に映る、廊下を歩く一人の少女。
 ――あの子だ。
 どこか寂しげで
 どこか哀しげで
 どこか儚げで
 いつも独りで
 今日も仲間外れ
 時間さえも取りたくないと切り捨てられた『禁忌』の申し子。

「行こう。授業に遅れる」
「放っておいていいのか」
「何ができるっていうんだ」
 同じクラスでもなく、距離も離れていて、触れることも言葉を掛けることも出来なくて。
 一体。何をしてあげられる。
 何も出来ないのなら、無力と現実の厳しさを突き付けるくらいなら。
 まだ、何も知らない方がいい。



「でもな。」
「なんだよ」
「手を振ってるぞ?」
「早く言えそういう事はっ!」

 俯いていた顔を上げる。
 精一杯手を振った。
 懸命に、向こうが止めるまで。
 いつまでも。いつまでも。

「微笑ましいな」
 実に喧しい。

 ついでに。
 この後遅刻したことは言うまでもない。


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