HとSの本 〜彼と彼女の夢〜
 それで、と続きを促してくる。黙りは通用しそうにない。
 溜め息を吐いた。
 なんて強引な人なんだ。
 呆れていると、肩を叩かれた。観念しているとわかっているのだ。この人がやけに馴々しいとき、必ずわたしは疲れている。頼むから遊ばないでほしい。

「本当に大したことないですよ」
「かまわん。話せ」
 先生とは思えないくらい態度が大きい。少なくとも生徒に向ける威圧感じゃない。
 貴女はどこかの支配者か。
 また、気付かれないように溜め息を吐いて。
「『天使』になるためですよ」
「……なるほど」
 わかったのかそうでないのか。おそらく半分。
 この人は鋭いけど、鈍い。
 自分の理解が届かないものに、辿り着いた試しがないというくらいだ。
「……それは必要なことか?」
「目的の為に手段は選べないだけですから」
「わざわざ仇敵といえる相手にまで、頭と誇りを下げるほどに?」
「命より大事なものがある、なんて言える御時世ですよ」
「理解できん」
 それには同意する。
 命の次に大事な物はあっても、それを上回る物は存在しない。
「単純に命の値を下げても優先すべき事はあったが、それよりも上だと? あるならば見てみたい」
 この人の理屈も理解できない。
 命の価値は一定で、上下したり変えられるものじゃない。
 すべての基準にして最大値。
 それが人の命の定義。



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