HとSの本 〜彼と彼女の夢〜
 結局、何度も覗き(着替えの手伝い)にやってくる母に大きく時間を取られたが、不幸中の幸いでご飯の分量が普通になった。実に助かる。
 その代償に体を危険に曝すというのもどうかと思うが、同性ならそれほど危険もないなんて考えていた頃の自分に助言したい。
 大人の女は怖い、と。
「……ねえ? なんで椅子一つ分離れてるのかな?」
 正確には、向かい側に座った定位置から一つずれた、いわゆる対角線。
「べつに」
 そっけなく答えた。
 だが効果は抜群だった。
「娘がいじめるっ」
「母親がセクハラするからっ」
「コミュニケーションよ?」
「同性でもセクハラは成り立つ」
 反省の色がなかった。

 気が重い。まっとうな女性なんていやしないのか。
「あら、女の子は女の子が好きなのよ?」
「…同性愛の勧誘?」
「違う違う。ついでに言うと、男の子も男の子が好きなの」
「腐女子?」
「もう、ちゃんと聞きなさいっ」

 同性は同性を好む。
 なぜなら自分以外のそれは同族だからだ。気心が知れる、無意識で協力し合う好意を持てる。
 それを頑なに否定するのがヒトで、同時に強調するのがヒトである。矛盾で極端、行きすぎればそれは悪意になり非生産的な愛になる。
 では異性はどうだろう。
 男と女は違う生き物だ。
 体付き、思考、生まれ持った生の使命、同族を尊び異端を排斥したがる典型的な種として、男と女は傷つけ合う。まずそういう形に生まれている。
 しかし二つは惹き合うことができる。それは生としての本能と、特有の抽象的な見方でヒトの種としてくくり、何より興味だ。
 根本的に違いながら同じ形をし、同じ思考を持ち、同じ言葉を使い、けれど同じではない誰か。
 そこには興味しかなく、得られるものはかならず有る。
 行き着く先の愛。行き着く先の破局。どちらもその先には、新たな愛なり生なりが有る。
「だから、私は貴方を可愛がる」
 同じものだから、
 そこには親愛の情がある。

 貴方は――

 母が言う。
 とても、暖かな笑みで。

「好きなヒト、いないの?」



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