イケメンバイトリーダー超かっこわるい。
バイトリーダーの突撃。
一ヵ月後、私は倉庫に呼び戻されることもなく無事に本社で仕事をしていた。
東京での暮らしは都会に住んだ経験の少ない私には面白かった。さいわい新しい職場にも馴染むことができ、私は会社員として充実した毎日を送っていた。
毎日一度は加地君からメールが来たりするが、まあ適当にあしらっておけば基本はいい子なので特に迷惑をかけられるということもなかった。
そのうち私とのメールも飽きるだろう。
私の日常は非情に穏やかだった。だがある日、加地くんからURLをはりつけたメールが届いた。
『これ俺のブログです』
そのURLにアクセスしてみて、私はとんでもない事実を知ることになった。
それはただのブログだった。
有名人のブログでもなんでもない、最初のほうはいわゆるニートのブログ……だった、ようだ。けれど丁度三年位前、ブログを書いているニートが親に強制されてバイトを始めたあたりから……読み手の心情を考えない無神経な記事で何度もブログが炎上している。月一度のペースで炎上している。わざとやっているんじゃないかと勘繰りたくなるほど炎上している。
そして、さらに悪いことに、そのブログの書き手は別に芸能人でもないのにブログに顔を晒している。よせばいいのに動画配信までやらかしているので、見る人が見たら完全に本人を特定で来てしまう。
さらに彼は中途半端に顔の造作がいいせいか、彼自身はただの一般人なのに何か勘違いした女子高生のファンまでついているようだ。
これ……どう見ても加地くんじゃないか……。
前に女の子に告白されたっていっていたのはこのファンのことか……。そっか……完全に嘘だと思ってた。
私はこんなところで私生活も顔も晒している加地くんにあきれ返ったが、いくつかの記事を読み進めて行くうちに、私が嘘だと断定していた加地くんの話が実は半分くらいは本当だということに気がついた。
政治家の息子、というのも実は完全なる嘘では無いらしく、彼の父が町会議員らしい。町会議員、政治家にはちがいない。たぶん。
東大生だというのも、100パーセント嘘というわけではないらしく、東大の入学試験に合格はして入学金も支払ったらしい。ただ、引きこもりニートゆえ、『実際に学校に通う』というミッションのあたりで躓いたようだが。
私はブログページを繰りながら最新ページまで読み進めた。今日は午後6時から動画配信を行うらしい。
顔をあげて壁掛け時計を確認するともう夕方の5時48分だ。知人のブログで貴重な休みの午後を丸々つぶしてしまうとは。
加地君かあ。一緒に働いていたのはわずか一ヶ月前だというのに何だか懐かしい。もう会うこともないのだろうけど、元気でいてくれるといいな。
ぼんやりとそんなことを思いながら動画配信を見ていると、加地くんの懐かしい顔が大きく画面に映し出された。
「こんばんはー。加地です。えーと今日は……家じゃなくて外から動画配信しまーす」
なんだかだるそうなぼそぼそとした話し方だ。
一緒に働いているときは何度かその話し方を注意したものだが、今となっては懐かしい。
彼は夕日を背にどこかありふれた風景の街を歩いている。どこだろうか。
彼はそのまま無言で古びたコンクリートの建物に入っていく。私の住んでいるマンションもそうだが、マンションの階段ってどうも薄暗くて汚い。
「なんかきったないマンションですね……俺、これからここに住むのかと思うとぞっとします。超貧乏人って感じ……」
加地くんはぶつぶつと文句を言いながら階段を上っていく。
「貧乏って。どこもマンションはこんなもんでしょ。そうやって中途半端にセレブぶるから炎上するんだって」
私は笑いながらつっこみを入れた。でもそんなところも彼らしい。
その時、玄関のインターホンがなった。
「いいところなのに。はーい」
私は立って玄関をあける。
そして言葉を失った。
色素の薄い、覇気の無い大きな瞳が私を見つめていた。
「うわー美穂さん化粧してる。なんすか、東京に出た途端いきなり色気づいて」
「えっ、えええええええ?」
なぜ加地君がここに!
久しぶりに顔を合わせる加地君はなぜかものすごく不機嫌そうだった。
私は驚いて思わずドアを引こうとしたのだが、加地くんはそんなのお構いなしでドアの隙間に足をこじ入れ、そのまま玄関に侵入して靴箱の上に動画配信用のカメラを置いた。
「かっ、かっ……ええええええ?顔!写さないで!」
アンタがネット上で有名人なのはいいけど私を巻き込むな!
「うつってませんよ、顔は」
『顔は』ってなんだ。少なくとも音声は配信されているってことじゃないのか?
私は青ざめて部屋の中に逃げ込もうとした。
「美穂さん、聞いてください」
加地君はそういうと、部屋の奥へ逃げようとする私の手をつかんで玄関扉に私の体を押し付けた。彼の口からミントのような香りがほのかに漂ってくる。
冷たい扉に押し付けられ、背中がぞくりと粟立った。
加地君は大きなだるそうな目でじっと私を見つめた。
なんだなんだ、何が起ころうとしているんだ、こわい。
「俺、金持ちです」
さんざん人をびくつかせておいて、ようやく彼の放った一言に私は目を見開いた。
「は?」
彼は頬を赤らめて目線を足元に落とした。
なぜ顔を赤らめるのか私には全く理解できない。
「今年に入って三人の女子高生に告白されました」
「は、………はあ」
また始まった。一緒に働いていたときも気になっていたがなんなんだこの自慢のような自爆のような発言は。
「俺、イケメンなんです」
「………………」
見れば分かりますよあんたが中途半端なイケメンだってのは。
この子、ついに精神のバランスを崩したんだろうか。彼の真剣なまなざしに恐れをなした私はこの場を逃れようともがくが、彼は私の足の間に膝をいれてなおも私を動けなくする。
彼はイライラしたように声を荒らげた。
「俺イケメンなんですけど!金持ちなんですけど!高学歴なんですけど!完璧なんですけど!
なのに……っ、どうして……付き合ってっていわないんですか!!」
「は……………?」
「他の女子に俺を取られてもいいんですか!」
い、いいんじゃね?
「俺はアンタのために今日までずっと童貞を守り通してきたんですよ!三年も!アンタに捧げるために!」
童貞……。
いらないんですけどそんなもの。
「なのに東京に行ったっきりで、しょうがないからこっちから来てみれば化粧なんかして、もう男ができたんすか、俺は楚々とした大和撫子が好きだって言ったじゃないすか!」
もしや加地君、いままでのウザい自分語りは……自己アピールだったのかしら…………。
「もう我慢できません、……俺、……俺、今日は絶対キスして帰ります!できれば童貞も捨て、じゃなかった捧げて帰ります!」
加地くんはそう叫ぶと、大きな手で私の顔をつかむと身をかがめた。
ひ、ひいいいいいい。
私は慌てて靴箱の上のカメラを叩き落とした。
十分後、私は加地くんの唇に絆創膏を張っていた。
「あのさあ、いきなりまっすぐきたらそりゃ歯が当たるよね、もしかしてキスもはじめてなの」
「……………こっちは小学校の6年から引きこもってるんですよそりゃ初めてにきまってるでしょう」
開き直るなよ。
もしかして高卒というのもいわゆる通信教育系高校卒業か。
「なんで告白するのに動画配信なんかしたの」
「……人前で告白したらOKせざるをえないかと思って。でも俺つきそってくれる友達いないし。動画の再生数が多いと収入になるし」
彼は反省した様子もなくぼそぼそと答える。
クズ過ぎる……。
「で、あの」
彼は色素の薄い大きな目で私を見つめた。いつになく真剣な顔をしている。
「ん?」
「俺の童貞、今日貰ってくれますか」
ストレスで血圧が上がったのだろうか。一瞬目の前が真っ白になった。
「いらねーよ!正規の手順を踏め!」
その日、私は初めてバイトリーダーを殴った。
でももう終電に乗っても地元まで帰れないというのでアホのバイトリーダーを泊めてやった。
もちろん童貞は貰わなかった。今後彼の処遇をどうするかについては今はまだ考えられない。いや、考えたくない。
イケメンなのに、バイトリーダー超かっこわりぃ。
おわり