極妻
意識がもうろうとなり始めたら、目の前に尊兄ちゃんの顔が浮かんだ。


いつも見せてくれた、困ったような、寂しいような独特の笑い顔が。


そう言えば嫁に来る日、尊兄ちゃんとお風呂に入ったっけ……。
こんなことで死ぬんやったら、あん時「好きや」って言えば良かった……。


尊兄ちゃん……。尊兄ちゃん……。


「……子っ……さよこ……小夜子ッ!?」


うずくまり、ゆっくりとまぶたを落とそうとしたとき、自分の名前を呼ぶ声がした。


そして開かなかった戸のガラスが、音もなく、スローモーションのように割れたんだ。


「━━━━ッ!?」


一瞬の出来事なのに、信じられないほど長く感じた。


脱衣場は、まるで火の海のようになってる。そこから現れた声の主に、私は抱きかかえられた。


力強い、男の人の腕だった。


じーっと見上げた視線の先に、やさしく微笑む兄ちゃんの顔が見えた。


「小夜子ッ!」


「……た、…尊兄ちゃん……やっぱりきてくれたんや……?」


煙のせいか知らんけど涙が溢れた。かすむ視界のなかで、ありがとうと言おうとしたけど、ここで私の意識は途絶えてしまった。






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