晴れ時々毒舌裏バージョン
兄との確執と母
うちは、未だに借金払ってて生活は楽ではないです。
父が親戚や知り合いに借りたのを返してます。
僕は、けっこう同年代の人で地方の人から見たら給料有りますが半分以上家に入れてます。
兄は今年の初めから精神障害の二級になってました。
それを知って驚きましたから柔らかく機嫌の良い時に二級になったならもう少しお金を入れたらでした。
もうね柔らかく言わないと何が起こるか分かんないです。それに本当の事は言えないです。
例えば兄も少しだけ会社に居て直ぐ病気で休んだけど父は給料払いましたからね。
当時の情況はまだ景気も良くて仲間も皆若いし何かあると職員同士で飲んでました。
大体皆あちこち泊まり込みで行ってたからたまに会うと嬉しいし皆が働き者でしたね。
そういう中に兄が戻って来て最初は頭も良かったし僕より運動神経も良かったから期待しました。しかし、全然駄目なんですね。
作業員から文句が出始めてね。
聞くと事務所から現場の事務所から出てこないからです。それも通いの現場ですから楽なんですけどね。
職員からも飲むとだんだん文句が出始めてね。
働かないからです。考えたら既にアルコール中毒が酷かったからでしょうね。
僕は板挟み状態でまあ、そう言うなよです。
しかし、兄は今でも自分自身は好かれてたと勘違いしてます。
そして一気に景気が落ちて倒産です。
兄も当然ある程度倒産まではお金を工面させました。
それが今考えたら失敗でしたね。兄をタッチさせなきゃ良かったです。
その後の自己破産も兄も妹もしてます。
妹は会社に入ってないのに父から頼まれていつの間にか借りらされてた。
その後僕と父とおじさんは違う会社に誘われて父は役員でおじさんと僕は現場で頑張りました。
そうしてたらその会社も倒産しました。
他の職員はあちこちのトンネル会社に雇われましたね。僕も誘われたけどやはり息子って事でなかなか上手く行かないからおじさんと父と行動したんですが兄には何処からも当然誘いはなかった。
新しく入った会社が倒産する前に父とおじさんと僕は抜けて父が再建を掛けて違う会社と組むからお前は良いトンネル屋を確保しろでした。
ところがギリギリでその仕事が駄目になりました。
おじさんと僕は倒産の時に一緒に仕事してた会社に誘われて作業員と所長で行きました。
倒産後三十初めから三十半ばまでに5つ以上の現場をおじさんと回りましたね。
沖縄から鳥取県、静岡県、広島県、熊本県東京あちこちです。
鍛えられましたが楽しかったです。
そうして広島に家を借りてたのを引き払い大分県に戻ります。
兄は縁を切ると言ってきてて僕も三十万円ほど出しましたがあるときまた飲んで倒れて一時的に家に預かりました。兄は時々の仕送りと三級の障害年金で女と暮らしてた。
僕は、一時的に帰った兄を歓迎しましたよ兄弟ですからね。ところが結局居着いてしまいました。
そしておじさんも身体の調子を落として僕は一人で知らない会社にも行きましたね。
苛められもしましたよ。
そうしてたら今の会社が四十になる僕を社員として迎えたいと来ました。
それも沖縄での縁があった会社です。
もう父も若くないし兄が居るって事でさまざまな条件をつけたけどそれで良いから来てくれとそこの常務に言われました。
現場が出来て事務が出来て営業も出来てって若手を探したら僕に当たったようです。当時は営業は素人でしたがね。
まあ、そういう訳でその時点で兄と皆で相談して家にいくら入れるか決めたんです。
当時は兄も三級の障害の年金でしたから少なくて良いかでした。
しかし、母もアルバイトしてます。そういう中で二級になったらいかに父や母を楽にさせるかでしょう。
父や母やぼくが居なければ生活保護ですからね。毎日母がご飯を作ってくれて食べ物はおいてくれてる。
僕は夕御飯だけであとは現場に行きますからね。
冬になると父も母もストーブも着けないです。
七十台ですよ。二人とも僕は湯タンポ使います。ストーブ着けても良いけどそれなら父や母がつけられるだけのお金を別に払わないと申し訳ないからね
そういう中で二級になって二ヶ月にで二十五万円ほど兄には入るようになりました。
ちなみに僕の給料も二ヶ月に一回にしてもらってる。そこで母と微妙な金額を合わせるからです。
二十五万円ほどはいる兄は結局二ヶ月に一回二万円だけ入れるそうです。
前が一万五千円で今回五千円しか増えてない。
そして母が最近は体調面がかなり良くないのを伝えたのに兄は五千円あげるだけなのに昔の恨み言を延々と母に語り母の病気は目に見えるから良いけど俺の病気は見えないと言ったんです。
そして俺から音楽をとったらダメだとか言ったんですね。
ちなみに兄は今たまにスタジオに母に連れて行って貰ってます。
母はがっくりでしたね。せめてもう二三万円は欲しかった。
そして僕の入れてる金額を下げようかと言いました。余りに兄弟で不公平だからね。
僕は兄にたいしては呆れましたが下げなくて良いよ。でした。
時間が有るときは母の肩やあちこち揉んでます。おかげで今は調子が良いと言うけどいつ調子を崩すか分かりません、父も脳内出血やってよれよれです。
そういう中で兄は自分自身だけが不幸を背負ったような顔をして自分自身だけが良ければ良いのかです。
甥っ子が八歳で野球をやりはじめてDVDに模様を撮ってて妹と兄と皆で見ました。
後から言うのが俺の方が余程上手かったです。甥っ子と滅多に遊んでもやらなくて甥っ子小遣いも一度もあげずにね。
妹が結婚する時に泣きながら向こうの家族に兄がアルコール中毒だと言ったのも知らずです。
有るのは僻みと自分自身が良ければ良いって感情です。そこには感謝もなければ愛もない。
病気で戦ってる方はここにも多いでしょうが、やはり感謝をしてほしい。
周りにささえられられてる事にね。それは仕事しててもやはりそうだと思います。僕は作業員にキツい事も言うけど出来ると分かったら面倒観ますよ。
やる気を見せてくれたらね。
母も父も七十越えていったい何を楽しみに生きてるのかです。
全て兄に潰されて行くようで惨めな気持ちになります。
生きたくても必死に闘っても死ぬ人もいるなかで甘えばかりが通るわけがないぞと思います。