晴れ時々毒舌裏バージョン
宗教
近々家から少し離れた古い教会に行こうかなと思います。
別にキリスト教徒になるとかで無くて知り合って濃い付き合いをした人がたまたまキリスト教徒が続いたからです。
一人は若いくて亡くなった美しいロック好きの女の子ですね。僕の短編には彼女の分身出ますね。
それと二人はまあ、知ってる人は知ってるで良いと思います。
信仰心ってよりも言われたんですね。教会に行くだけでも違うもんだよってね。
日本人が神社に行くと何となく居ずまいを正すような物かと聞くとその子は神社に知らないからとにかく行ってみたらです。
歳を取ると信仰心に目覚めるってあれは分かるんですが、好きではないんですよ。
急にお金のかかるものに行くってね。
それとやたらに勧誘するとかね。自然に若い頃から信仰心があるのは良いんですけどね。
五十前になって仲間が欲しいからとか嫌ですね。押し付けがましいのがね。
押し付けがましくなければ信仰心を持つって良いかもです。
もうひとつ理由は若い頃に米軍の女の子と付き合ったのと米軍の男友達がやはり信仰心を持ってたからかもです。
魂の救済を求める年齢になったのだと思います。それがたまたまキリスト教だったって事です。
行ってみて考えますよ。まあ、教徒にはならないでしょうが分かんないですね。
心を洗って貰いたいって強いですね。
仏教でも良いんですがどうもお寺に良いイメージがないんですね。
それは京都にいた頃にとにかくお坊さんがアルバイト先のビデオ店に来たけど凄いお金を使ってたのと態度が悪かったからです。
京都の庶民は当時は坊さん丸儲けとか言って嫌がってましたね。
もちろん違い人も居るんでしょうが、イメージが刷り込まれましたからね。
教会にとりあえず行くかなです。
それとやはり色々苦しい事はあっても毎日食べられて寝るところが有るって事ですね。
そういう事が当たり前ではないんですね。
それとうちの兄を見てると何故食べれて何故自分自身の好きなように出来るか分かってないからかもです。
兄にたまたま教会に行くかもと言うとやはり昔の子供の頃の事を言って聖書を読んでたと言いましたが、何故そんなに人を恨んで自分自身だけが正しいと思うのか?です。
基本的に働いてないと考えるばかりなんでしょうね。
病は仕方ないけど、やはりそれなら感謝を持つべきですよ。
それと自分自身をいかに客観的に見るかです。
自分自身をもう一人の自分が見てるような感覚がないと全てが自分自身が正しいになるんでしょうね。
病いがあっても必死に治そうとしてる人は好きですし何とか明るく恨まず生きようって人は応援しますが僻みばかりは好きになれませんね。
非常に偏った意見ですが男なら必死にどんな仕事でもがんばるべきです。
女性には家庭を守らないといけないとか子供が居るとか色々あるからね。
この男ならって感覚が自分自身強すぎるのは分かってますけどね。