でも、好きなんです。
結局その日は、なんとなく窪田さんを避けて一日が終わってしまった。

定時の五時半になり、オフィスを出た。

ビルを出ようとすると、雨が降っていた。

あー、傘持ってきてない、と思いながら、バス停までダッシュする決心を数秒で固める。

人の体は紙ではないので、多少濡れてもまるで問題ない、というのが私の持論だ。

さあ、走ろう、と思った瞬間、後ろから声をかけられた。



「河本さん?」



聞き覚えのある声に、足を止め、思わず振り返る。山村課長だった。



「傘、持ってないの?」

「え、あ、は、はい、今日、うっかり忘れちゃって。」

「バス停まで、入っていきなよ。」

「え、そ、そんな悪いです。」

なぜ、いちいちどもる。自分に向かって言う。

バス停になんて、永遠に着かなければいいのに、と思いながら、心もちのろのろ歩く。



「雨はほんと、嫌だね。」

「は、はい。」

「昨日は、無事帰れた?」

「は、はい、窪田さんに送ってもらいましたし・・・。」

そう口にしながら、昨日の窪田さんからのキスを思いだしてしまい、顔が熱くなる。課長の顔が見れなくて、思わず目をふせる。

「ほんと、家まで送ってあげられたら良かったなあ、ごめんな。あの後部長たちと二次会で、しんどかった。河本さんと帰れたほうが百倍よかったのにね。」

課長の、ごめんな、は仕事の場でもよく聞くけれど、いつも言われる度に、どきどきしてしまう。

「それにしても、窪田君、実は、河本さんのこと狙ってるんじゃないかな?」

「ええっー?!まさか、ないです!私なんか、あるわけないです!」

まるで昨日の出来事を見透かされているような気がして、思わず声が上ずる。私の様子を見て、課長が吹き出す。

「自分でそんなこと・・。河本さんは面白いなあ。」

「い、いえ・・・。」

 さすがに今の返しは、自虐的すぎたかな。

「いやいや、あり得るって。なんていうか、河本さん、ナチュラルでいい、って、皆、結構言ってるよ。」

「そんな、フォローは・・・。山村課長は優しいですね。」

「いや、フォローとかじゃないよ、ほんとだって。なんていうのかな、ほっとする感じかな。」

課長の言葉を本気で受け止めているわけじゃないけど、照れてしまって、曖昧に笑うことしかできない。

「昨日も、あまりゆっくり話せなかったしな。」

「ほんと、そうですね。課長からいろんなお話を聞けて、楽しかったです。」

「また、飲みに行きたいなあ。」

「ほんとですね、やりましょ!今度は課のみんなとでも。」

・・・さすがに、そうですね、なんなら二人で、なんて言えないところが私の限界なんだろうなあ。

いや、課の皆でとでも嬉しい。そこから、またなにか進展するかもしれないもん。

「ん、そうだね。嫁さんがうるさく言うかもしれんけど、なんとか誤魔化して行くわ。」

課長が気軽に口にする、嫁さん、という言葉に、胸がちくりとする。

バス停につき、笑顔で課長にお礼を言い、手を振って別れた。

笑顔を作りながらも、心がなんだかつらかった。
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