さくら駆ける夏

本間さんの話

 私は車から飛び降りようと、ドアに手をかけた。
 しかし、ドアはロックされているようで、開かない。
 頭に血がのぼっている私は、がむしゃらに窓を割ろうと両手で叩き続けた。
「危ないことはやめるんだ! 落ち着いて!」
 本間さんが言う。
「落ち着いていられるわけないじゃない! なんてことするのよ! 涼君に暴力をふるって、私を連れ去って、どうするつもりなの?!」
 私はあらんかぎりの声で、本間さんに怒りをぶつけた。
 怒り心頭に発した私は、冷静な思考などできる状態ではない。
 やはり、窓を割ろうと必死に叩く。
 私を落ち着かせようとしてなのか、本間さんは穏やかな口調で言う。
「連れの彼には、危害は加えんよ。もちろん、君にもね。とにかく落ち着くんだ。これには深い事情があるんだ。すぐに分かるはずさ」
「事情があるなら今すぐ話してください! そうでないのなら、今すぐ降ろしてください!」
「それじゃ、かいつまんで話すと、これから僕の仮住居まで、君を連れていく。見せたいものが色々あるからだ。決して乱暴しようとか、そういう下種(げす)な目的ではない。そもそも、僕は暴力なんか大嫌いだからな」
「涼君に暴力を振るってたじゃない!」
「彼はもうとっくに解放されているよ。かすり傷一つないはずだ。そして約束しよう。今から二時間以内に、君を彼の元に送り届ける。二時間だけ僕に時間をくれ。それ以上は求めない」
 本間さんの冷静な様子からか、私も徐々に落ち着いてはきた。
 怒りが完全に消えたわけじゃないけど。

「それで、どういうことなの? あなたは八重桜さんのところの運転手さんなんでしょ?」
 幾分か冷静さを取り戻した私は聞いた。
「さっきの酒井とのやり取りをもし聞いていてくれてれば分かったと思うが、僕が運転手として働きはじめたのは今朝からだ。八重桜のあのビルにある会社、あそこの採用担当の崎村っていう男と交流があってね。言ってしまえば、僕はあの男に少しばかり貸しがあるんだよ。それプラス、札束の力でもって、僕が運転手として採用されることとなった。昨日までこの仕事をしていた森崎という男には、給料の十倍以上の札束の力で、今日から一週間、入院してもらっている。もちろん、本当の怪我や病気ではなく、診断書は僕の部下が書いた。そいつは医師免許を持っているのでね。当然、そいつが院長を務める病院に森崎は入院したわけだよ。こうして、森崎に取って代わって、僕がこの一週間、運転手として働くことになったのだ。一週間と言っているが、明日からは別にどうでもいいんだよ、実は。今日だけのため、それもこうして君を連れ出している、今のこの状況を作り出すためだけに、この計画を実行したわけだ。昨夜、急遽立てた計画だから、僕だけじゃなく、森崎たちも今朝から大忙しだったよ。ふぅ~」
 本間さんはまるで世間話でもするように、平然と話しているけど、私には突拍子もない話に思えた。
 全然、話が頭にすんなり入ってこない。

「あなたはいったい何者なんですか? そして……こうして私を連れ出すだけのために、色々工作したっていう話だけど、私に見せたいものっていったい何なんですか?」
「工作だなんて、嫌な言葉を使ってくれるなぁ」
 本間さんは、なぜか愉快そうに笑う。
 そして続けて言った。
「しかし、やはりカエルの子はカエルだな。すでに冷静さを取り戻して、その堂々たる態度……血は争えんということか」
「私が、八重桜さんの娘と言いたいのですか?」
 さっぱり話が見えないので、少しだけ語気を強めて聞く。
「ああ、そのことだが、八重桜の娘であるはずがない。君はだまされているんだよ」
 ますます分からなくなった。
「私がだまされている?」
「うん、八重桜にね」
 今度は八重桜さんを嘘つき呼ばわりしはじめた。
 この人、いったい何が言いたいんだろう。
「八重桜さんが、私をだましているという証拠が何かあるのですか? そして、そんなことをするメリットは何なのですか?」
「証拠と言われるとなかなか難しいが……君は僕の娘だからね」

 私は言葉を失ってしまった。
 この人、いきなり何を言い出すんだろう。
「そして、八重桜が君をだますメリットはもちろんある。それは、ヤツが、君のお母さんである胡桃ちゃんに恋をしていたからだ。だましてでも、胡桃ちゃんの娘を引き取りたい……ヤツにとっては、立派なメリットじゃないか。詳しくは仮住居に着いてから話すけど、君は、胡桃ちゃんと僕の娘なのだよ。胡桃ちゃんは悲しいことに、君を産んですぐに亡くなってしまった……。僕と同じく、胡桃ちゃんのことを忘れられない八重桜のヤツは、胡桃ちゃんの娘である君を自分の娘にしようと画策したというわけだ。これこそ、さっき君が言っていた『工作』という言葉にふさわしい悪徳行為じゃないかい? ふん、虫一匹殺せないような風貌をして、よくこんなあくどいことが出来るよ、まったく」
 後半部分の言葉とは裏腹に、本間さんは怒っているような様子もなく、半ば笑みすら浮かべながら楽しそうに話している。
「幸いなことに、そんなあくどいヤツがいたとしても、この僕がちゃんとお見通しなので、いつでも困っている人に手助けをしてあげられるのだ。あくどいヤツには、相応の報いを受けてもらってね。……ああ、もうすぐ着くよ。お待たせしたね」
 陽気な口調だ。
 車は裏道のような細い道に入っている。
 この先に本間さんの「仮住居」があるというのだろうか。
 それにしても、「仮」って何?
 どういうこと?
 住所不定ってことなのかな?

 そして根本的なことだけど……本間さんって何者?
 今は分からないことだらけだけど、全部聞き出してやるぞと心に決めた。
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