さくら駆ける夏
おじいちゃんからの情報
翌朝はおじいちゃんも私も、入院の手続きや用意で忙しく、ゆっくりと話をする時間はなかった。
それでも昼食後、病室に落ち着いたおじいちゃんと、腰を落ち着けて話をする時間がようやくできた。
「おじいちゃん、昨日の話なんだけど……」
「あぁ」
おじいちゃんは相変わらず真面目な表情だ。
昨日、あの話をしてくれてから今まで、入院の準備などのせいもあってか、普段のおじいちゃんの明るい表情は鳴りを潜めていた。
もちろん、病室に落ち着いたことで、ホッと一息ついた感じではあったけど、依然として普段の明るさまでは戻ってきていない様子だ。
「わしもいつ言うべきか、すごく悩んだんじゃ」
おじいちゃんがゆっくりと言う。
「じゃが、昨日も言ったと思うけど、いずれは言わねばならんこと。それで昨日伝えたんじゃが、さくらを傷つけることになってないかがすごく気になってたよ。すまんな」
「私は傷ついてないよ」
私はすぐに言った。
「そりゃ、びっくりはしたけど。お父さんお母さんは私を生んでくれた人ではないっていうことだけど、私にとって二人が両親っていうことに変わりはないし、おじいちゃんもまた私のおじいちゃんってことに変わりはないんだから……」
そこまで言って、私は言葉に詰まった。
おじいちゃんの目に涙が見えたからだ。
おじいちゃんが涙ぐむ姿を見るのは、私にとって今回が初めてだった。
おじいちゃん……。
「おじいちゃん、泣かないで」
「ああ、すまん」
いつものおじいちゃんなら、もしこういう場面になったとしても「目から鼻水が出ただけ」とか何とか半笑いで言いそうなところなので、それを想像すると、おじいちゃんが笑顔を見せてくれない現状が、少し寂しかった。
「それでね」
私は昨晩一人でずっと考えていたことを切り出した。
「私……生んでくれた両親にも会ってみたい」
「そう言うと思っていたよ」
おじいちゃんはうなずく。
「さっきも言った通り、お父さんお母さんおじいちゃんが、今までもこれからも私の家族だということに変わりはないし、気持ちは変わらないよ。でも…………それでも、生んでくれた両親にも、たった一度だけでいいから、会ってみたいの」
「そう思うのは自然なことじゃと、わしは思うよ。ただ、簡単なことじゃない。それは、さくらにも分かるじゃろ」
私にも分かっていた。
痛いくらいに。
私は施設に預けられていたということだし……実の両親に何らかの事情があって、私を育てられなくなったことは、まず間違いないだろう。
私がその施設に行ってみたところで、たとえ当時の記録が残っていたとしても、何一つ教えてくれないだろうということは容易に想像がつく。
守秘義務というものがあるだろうし……。
もちろん、こんなことを言い出すこと自体、お父さんお母さん、そしておじいちゃんにとって失礼にあたるかもという考えも、私の中にあった。
それでも、おじいちゃんに打ち明けた理由は、幾つかある。
一つは……おじいちゃんには何でも打ち明けやすいからだ。
また、実の両親にこれから会う方法を模索する場合に、おじいちゃんに知らせず影でこそこそするのが嫌だったと思ったから……というのも一つの理由だった。
それに……当時を知るおじいちゃんが、ひょっとしたら、ほんの些細なことであっても、実の両親の情報を知っているかもしれないと、淡い期待を持っていたというのもあるかも。
「実の両親について、何か情報はない? 今さら、その施設に私が出向いても、両親の情報を私に教えてくれるとは思えないし、私としては全く手がかりのない状態だから……。ほんの些細なことでもいいから……何か知らない?」
おじいちゃんは黙ったまま、少し顔を上に向けて、目を閉じた。
思い出そうとしてくれてるようだ。
「お前の『さくら』っていう名前はな」
おじいちゃんは目を見開くと、真正面の壁を見つめて言う。
「押し花のキーホルダーはまだ持ってるか? 桜の花びらのやつじゃ。あのキーホルダーから、お前は『さくら』と名づけられたんじゃよ」
今、ここに持ってきてはいなかったけど、何のことかはすぐ分かった。
桜の花びらを押し花にして、それをキーホルダーにしたものだ。
物心がつく前から持っていたような気がする。
すごく綺麗で、私にとってお気に入りのキーホルダーだった。
「あの押し花キーホルダーは、実の両親が作ったものじゃろう。お前が預けられていた施設によると、お前をくるんでいた毛布の中に入っていたそうじゃ。毛布には他にも、生まれたばかりのお前の写真が何枚も入った小さなアルバムもくるまれていたらしい。このアルバムも、すでにお前が持っているはずじゃよ」
「薄い表紙で、ピンク色のやつ?」
「そう、それじゃ。表紙にポケットアルバムと書いてあるはずじゃ」
そのポケットアルバムというものにも心当たりがあった。
どういう経緯で渡してもらったかということに関しての記憶はないけど、自分の赤ちゃんの頃の写真ということで、大事にしているものの一つだ。
「あの桜の花びらのキーホルダーを持っていたから、わしらはお前を『さくら』と名づけたんじゃ。あのキーホルダーとポケットアルバムの二つは、お前の実の両親がお前に与えたものじゃろう。あの二つは、お前が施設に引き取られたときには、すでにお前のものになっていたらしいんじゃよ。お前に教えてやれる情報は、このぐらいだな……。お前の言う通り、施設の人も、たとえお前が当事者とはいえ、そうやすやすと個人の情報を口外しないじゃろう。これからどうして探すんじゃ? ネットを使うのか?」
「ううん、ネットは使わない。私としても、そんなに大っぴらにしたい事実じゃないから。おじいちゃんや亡くなったお父さんお母さんに対しても、失礼でしょ」
「わしのことは、気にしなくてもいいが……」
「それでもやっぱりやめておくよ。不特定多数の人に出自のことを知られるのは、嫌な面もあるし。それにそうした場合、面白半分で私たちのことを攻撃するような人も現れるかもしれないから」
「なるほど。それもそうじゃな。それじゃ、キーホルダーとポケットアルバムだけが手がかりか……」
「うん。いったん帰ってもいい? その二つをしっかりと確認したいから」
「ああ、もちろんじゃ。面倒だったら今日はもう来なくてもいいし、そちらの都合を最優先でいいぞ。わしは動けない訳じゃないから、欲しいものがあれば自分で調達できるし、さくらの都合でいいからな。何かあればすぐ連絡する」
「そうは言うけど、心配だからまた今日ももう一回来るよ。それに、キーホルダーとポケットアルバムについて、一緒に考えたいから。ダメ?」
「もちろん来てくれるほうが、ありがたいに決まってるじゃろ」
ここで久々に、おじいちゃんの明るい笑顔が見られた。
少し安心する私。
「それじゃ、ちょっと家に戻って、キーホルダーとアルバムを持ってくるね」
「ああ、気をつけてな。おお、そうじゃ! 小さな将棋盤と将棋駒を、ついでに取ってきてくれんか?」
「うん、分かった。おじいちゃんの部屋にあるのよね?」
「うん、そうじゃ。よろしく頼んだよ。気をつけて帰るんじゃぞ」
こうして、私は大切な手がかりである、キーホルダーとポケットアルバムを探しに、いったん家に引き返した。
それでも昼食後、病室に落ち着いたおじいちゃんと、腰を落ち着けて話をする時間がようやくできた。
「おじいちゃん、昨日の話なんだけど……」
「あぁ」
おじいちゃんは相変わらず真面目な表情だ。
昨日、あの話をしてくれてから今まで、入院の準備などのせいもあってか、普段のおじいちゃんの明るい表情は鳴りを潜めていた。
もちろん、病室に落ち着いたことで、ホッと一息ついた感じではあったけど、依然として普段の明るさまでは戻ってきていない様子だ。
「わしもいつ言うべきか、すごく悩んだんじゃ」
おじいちゃんがゆっくりと言う。
「じゃが、昨日も言ったと思うけど、いずれは言わねばならんこと。それで昨日伝えたんじゃが、さくらを傷つけることになってないかがすごく気になってたよ。すまんな」
「私は傷ついてないよ」
私はすぐに言った。
「そりゃ、びっくりはしたけど。お父さんお母さんは私を生んでくれた人ではないっていうことだけど、私にとって二人が両親っていうことに変わりはないし、おじいちゃんもまた私のおじいちゃんってことに変わりはないんだから……」
そこまで言って、私は言葉に詰まった。
おじいちゃんの目に涙が見えたからだ。
おじいちゃんが涙ぐむ姿を見るのは、私にとって今回が初めてだった。
おじいちゃん……。
「おじいちゃん、泣かないで」
「ああ、すまん」
いつものおじいちゃんなら、もしこういう場面になったとしても「目から鼻水が出ただけ」とか何とか半笑いで言いそうなところなので、それを想像すると、おじいちゃんが笑顔を見せてくれない現状が、少し寂しかった。
「それでね」
私は昨晩一人でずっと考えていたことを切り出した。
「私……生んでくれた両親にも会ってみたい」
「そう言うと思っていたよ」
おじいちゃんはうなずく。
「さっきも言った通り、お父さんお母さんおじいちゃんが、今までもこれからも私の家族だということに変わりはないし、気持ちは変わらないよ。でも…………それでも、生んでくれた両親にも、たった一度だけでいいから、会ってみたいの」
「そう思うのは自然なことじゃと、わしは思うよ。ただ、簡単なことじゃない。それは、さくらにも分かるじゃろ」
私にも分かっていた。
痛いくらいに。
私は施設に預けられていたということだし……実の両親に何らかの事情があって、私を育てられなくなったことは、まず間違いないだろう。
私がその施設に行ってみたところで、たとえ当時の記録が残っていたとしても、何一つ教えてくれないだろうということは容易に想像がつく。
守秘義務というものがあるだろうし……。
もちろん、こんなことを言い出すこと自体、お父さんお母さん、そしておじいちゃんにとって失礼にあたるかもという考えも、私の中にあった。
それでも、おじいちゃんに打ち明けた理由は、幾つかある。
一つは……おじいちゃんには何でも打ち明けやすいからだ。
また、実の両親にこれから会う方法を模索する場合に、おじいちゃんに知らせず影でこそこそするのが嫌だったと思ったから……というのも一つの理由だった。
それに……当時を知るおじいちゃんが、ひょっとしたら、ほんの些細なことであっても、実の両親の情報を知っているかもしれないと、淡い期待を持っていたというのもあるかも。
「実の両親について、何か情報はない? 今さら、その施設に私が出向いても、両親の情報を私に教えてくれるとは思えないし、私としては全く手がかりのない状態だから……。ほんの些細なことでもいいから……何か知らない?」
おじいちゃんは黙ったまま、少し顔を上に向けて、目を閉じた。
思い出そうとしてくれてるようだ。
「お前の『さくら』っていう名前はな」
おじいちゃんは目を見開くと、真正面の壁を見つめて言う。
「押し花のキーホルダーはまだ持ってるか? 桜の花びらのやつじゃ。あのキーホルダーから、お前は『さくら』と名づけられたんじゃよ」
今、ここに持ってきてはいなかったけど、何のことかはすぐ分かった。
桜の花びらを押し花にして、それをキーホルダーにしたものだ。
物心がつく前から持っていたような気がする。
すごく綺麗で、私にとってお気に入りのキーホルダーだった。
「あの押し花キーホルダーは、実の両親が作ったものじゃろう。お前が預けられていた施設によると、お前をくるんでいた毛布の中に入っていたそうじゃ。毛布には他にも、生まれたばかりのお前の写真が何枚も入った小さなアルバムもくるまれていたらしい。このアルバムも、すでにお前が持っているはずじゃよ」
「薄い表紙で、ピンク色のやつ?」
「そう、それじゃ。表紙にポケットアルバムと書いてあるはずじゃ」
そのポケットアルバムというものにも心当たりがあった。
どういう経緯で渡してもらったかということに関しての記憶はないけど、自分の赤ちゃんの頃の写真ということで、大事にしているものの一つだ。
「あの桜の花びらのキーホルダーを持っていたから、わしらはお前を『さくら』と名づけたんじゃ。あのキーホルダーとポケットアルバムの二つは、お前の実の両親がお前に与えたものじゃろう。あの二つは、お前が施設に引き取られたときには、すでにお前のものになっていたらしいんじゃよ。お前に教えてやれる情報は、このぐらいだな……。お前の言う通り、施設の人も、たとえお前が当事者とはいえ、そうやすやすと個人の情報を口外しないじゃろう。これからどうして探すんじゃ? ネットを使うのか?」
「ううん、ネットは使わない。私としても、そんなに大っぴらにしたい事実じゃないから。おじいちゃんや亡くなったお父さんお母さんに対しても、失礼でしょ」
「わしのことは、気にしなくてもいいが……」
「それでもやっぱりやめておくよ。不特定多数の人に出自のことを知られるのは、嫌な面もあるし。それにそうした場合、面白半分で私たちのことを攻撃するような人も現れるかもしれないから」
「なるほど。それもそうじゃな。それじゃ、キーホルダーとポケットアルバムだけが手がかりか……」
「うん。いったん帰ってもいい? その二つをしっかりと確認したいから」
「ああ、もちろんじゃ。面倒だったら今日はもう来なくてもいいし、そちらの都合を最優先でいいぞ。わしは動けない訳じゃないから、欲しいものがあれば自分で調達できるし、さくらの都合でいいからな。何かあればすぐ連絡する」
「そうは言うけど、心配だからまた今日ももう一回来るよ。それに、キーホルダーとポケットアルバムについて、一緒に考えたいから。ダメ?」
「もちろん来てくれるほうが、ありがたいに決まってるじゃろ」
ここで久々に、おじいちゃんの明るい笑顔が見られた。
少し安心する私。
「それじゃ、ちょっと家に戻って、キーホルダーとアルバムを持ってくるね」
「ああ、気をつけてな。おお、そうじゃ! 小さな将棋盤と将棋駒を、ついでに取ってきてくれんか?」
「うん、分かった。おじいちゃんの部屋にあるのよね?」
「うん、そうじゃ。よろしく頼んだよ。気をつけて帰るんじゃぞ」
こうして、私は大切な手がかりである、キーホルダーとポケットアルバムを探しに、いったん家に引き返した。