さくら駆ける夏
「どうしたの? 何かあった?」
 心配になって聞いてみた。
 私が調子に乗って、やりすぎちゃったのかな。
 うう……。
 私は、いつもこんなのばっかりだ。
 すぐ調子に乗っちゃう。
 しかし、涼君は怒っている様子はなく、冷静に言った。
「自分では見えにくいかもしれないけど、左ひじのあたりを見てみてよ」
「え?」
 私は、思わず自分で確認した。
 しかし、左ひじの周辺をいくら注意して見てみても、何の異常も感じられなかった。
 てっきり、知らないうちに怪我でもしているのかと思ったんだけど。

「どこも怪我してないよ。何ともないみたい。何かあった?」
 左ひじをじっくり観察したまま、私が言った。
「そうじゃなくて、アザだよ。話してくれたでしょ、本間と会ったときにアザを見つけたって。今、それって見当たらないよね?」
「あああ!!」
 そうだった!
 ここにはたしかにあのとき、アザがあったはず。
 でも今見てみると、アザらしきものは影も形もない。

「どういうことかなぁ?」
 私にはワケがわからなかった。
「うーん……つまり、アザじゃなかったってことじゃないかな」
 考え込んだあと、涼君が言う。
「え? どういうこと?」
「本間のアザが、本物か偽物かは分からないけど、少なくとも、さくらちゃんのアザは偽物だったってことになるね。本間の言うような、生まれた直後からあるような種類のアザって、一気に跡形もなく消えるようなものじゃないはずだから」
 偽物のアザ?
 そんなもの、いつ付いたんだろう。
 私には見当も付かなかった。

「それじゃ、そのアザって、本間さんが私に付けたものってこと?」
「普通に考えると、そうなるね」
「でも、そんなことをするタイミングって、なかった気がする。魔法でも使わない限り」
「うーん」
 涼君はややうつむいた。
 また、深く考えこんでいる様子だ。
「可能なタイミングが一度だけあったんだと思うよ」
 涼君は、かすかにうなずきながら言った。

「いつなのかな?」
 私は早く涼君の考えが知りたかった。
「それは、多分……あのときだよ……。本間は運転手に化けていたでしょ。そして、車を止めて、ヤツの仲間が、俺を車から引きずり出したときだよ。あの時、俺はさくらちゃんが心配で心配で、そっちばっかり見てたわけだけど……そのとき、ヤツはさくらちゃんの左腕と口を押さえていたように思う」
 すごい記憶力だ……。
「た、たしかに、そうだった気がする……」
「そのとき、付けたんだよ、きっと。ここからは推測に過ぎないけど、指先に何かの粉でも塗りつけていたんじゃないかな。それで、どさくさに紛れて、さくらちゃんの左ひじ付近に指を押し当てて、粉を塗りつけてアザのような痕跡を残した。そんな風に考えると、自然な気がする。恐らく、全てヤツの計画通りだったんだろうね」
 普通の人なら実行は大変だろうし、突拍子もない計画に思えたけど……本間さんはチェリーブロッサムの首領だ。
 十分あり得るように思った。
 実際、私を連れ去ったやり方も、突拍子もないものだったから。
 また、スマホを盗られて気づかない私が、左ひじに何かされたことに気づくとも思えないし。
 情けないことに。

「じゃあ、本間さんが私の父親かもしれないという可能性は、低くなったのかな?」
「それは客観的にみれば何とも言えないけど……俺個人の考えだと、さくらちゃんの言う通り、本間がお父さんだという可能性は低いと思う」
 涼君は、落ち着いた様子で答えた。
 私はさらに質問する。
「なんで、本間さんは、こんなことをしたんだろう……」
「本間は、他の二人とは違い、DNA鑑定を受諾できない理由があったってことだよね。世間にバレてはいけないという。そういう訳で、何かしら、さくらちゃんを納得させる決定的な証拠がどうしても必要だったんだと思う。それで、こういう計画を実行して、決定的証拠だと納得させられるような証拠を、自ら作り出したのかもね。そういうことをするってことは、他に決定的な証拠がないと白状しているようなもんだから、アイツがさくらちゃんのお父さんである可能性は低いと、俺も思う。さくらちゃんの言うとおり」
「そっか、なるほど」
 涼君の意見には、すごく納得できた。
 そこで、涼君が、声のトーンを急に明るくして言った。
「さぁ、そんな暗い顔はもうやめようよ! 今ここで悩んでいても仕方がないからさ。来週の火曜と水曜、鑑定をしにいけば、おのずと状況は前に進むからね。八重桜さんと一髪屋さんに関しては、そこで父親かどうかがはっきりするんだから。それまでは、あまり考えすぎない方がいいよ」
 涼君の言うとおりだと思った。
 くよくよ悩んでいても、何にもならないよね。

「あ、あと、ちょっとだけ確認させてね」
 涼君はそう言うと、私の背後に回り、左腕に優しく手をかけた。
 ドキドキする私。
「うん、傷とかついてないみたいだ。よかった」
 左ひじのところを心配してくれてたんだ。
 本間さんが付けたというそのアザのところに、傷が残ってないかって。
 涼君は、しみじみした調子で言葉を続けた。
「俺は本間が一番嫌いだなぁ。あんな無茶苦茶するし。何せ、犯罪組織の頭目だからね。さくらちゃんがあんなヤツの娘でないことを、心底祈ってるよ。あいつと比べれば、一髪屋さんの方がずっとマシだよ。俺も、あの人と気が合うとは決して言えないけれど、少なくとも犯罪に関わりはなさそうだし、本間のような乱暴もしないしね」
 涼君は、本間さんが大嫌いみたい。
 たしかに、本間さんには少しやり過ぎなところがあるとは思うし、こんな風に思われちゃうのも、見方によれば自業自得、身から出たサビってことで仕方ないのかも。

「さくらちゃんのきれいな肌に傷とかついてなくて、本当によかったよ」
 涼君は、まだ私の左腕に優しく手を添えてくれている。
 嬉しいけど、そろそろ恥ずかしくなってきた。
 周りには他の人もいるわけだし。
 あと、「きれいな肌」って、さりげなく褒められたのも……。
 顔がものすごく熱く感じる。
 身体は水に浸かってて、顔も冷たい水で濡れているはずなのに。
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