キスよりも熱いもの
「あ、ごめん。ちょっとお手洗い行ってくるね」
彼の誘いに被せるように、私はそれ以上口を挟む隙を与えない微笑みで立ち上がる。
遮った言葉はあくまで聞かなかったふり。
「……ああ、いってらっしゃい」
仕切り直す事にしたんだろう。石渡君も無理に続けようとはしなかった。モテる男は引き際を心得ている。
目線が上がると、割と誇張ではなく部屋中の皆がこちらの様子を伺っていた事が分かった。ただ一人をのぞいて。
誰も助け舟を出してくれなかったのは、どうやら気を遣われていたらしい。どうせ石渡君が根回ししてたんだろう。期待に添えなくて悪いけどタイプじゃないものは仕方ない。
私は唯一こちらを見もせずに視線を落としている男を軽く睨む。
視線の先の手元にはスマホ、テーブルの上には日本酒のグラス。席はここから程近い。
一人で座っているし、私達の会話は聞こえていたはずだ。それでも彼は顔を上げない。眼鏡が邪魔をして表情も伺えない。
じわじわと湧いてくる苛立ちを抑えながら私は座敷を出た。そのまま店の入口も抜け、店舗内のトイレではなくビルに設置されたトイレに向かう。
人に顔を見られたくなかった。誰かに会えば八つ当たりしてしまいそうだ。
トイレ周辺に誰の気配もないのを確かめて、私はため息をつきながら通路の壁に寄りかかった。背中に感じるタイルがアルコールで火照った身体にヒヤリと心地良い。