古代風より
古代の風より。4

翌日の朝に……

和壁村の航空写真を見ると、東に北陽岳、西に馬頭山があり、その中央を県道が走り、その県道を更に北へ向かうと大上沢村へと続く。

その大上沢村の少し手前に直径1km程の広場がある。
この広場の住所は和壁村になるが和壁村、大上沢村の地図には載っていない。
いや、そもそも国土地理院の発行している地図にさえ記載がない。

戦後の農地改革を施行する時に、池端家のこの土地も農地だった為、割譲の為の測量士が入ったが二人不慮の事故で死亡、二人が原因不明の熱病に罹り、後の人生を生きるのに障害を残している。
様々な噂はあったが結局不明のまま、この土地と池端家所有の土地全ては池端家がそのまま存続する事になったが、村の誰もが異を唱える者はなく、中央省庁も此処だけは「特異の場所」、と云うことで「不問に付し」ている。
「特異の場所につき不問に付す」、と言うのは何も此処だけに限った事ではない。……が、それ以来池端家の土地に関しては誰も口を挟む者はいなくなり、地図にさえ載せる事もなくなった。

結果的に池端家は戦後の混乱期に一反の土地をも失わず、戦後に興した製糸産業と製材事業で国内外の輸出、特に朝鮮戦争の特需で巨利を得ている。

航空写真では、その広場の中央に家が一軒確認出来るが、この家は既に取り壊されてない。その広場がどれだけ広いのか……
嘗て此処には池端家があり製糸工場があり、養蚕場があり、製材所も並び、それに関わる人達の住む寮が建ち並んでいた。製材所は別の場所に移転して続けてはいるが、製糸工場は既に廃業している。

………広い………
実際にその広場に立つとその広さを実感出来る。池端家所有の土地である。
その広場から西へ歩いて行くと馬頭山の麓に辿り着き、その馬頭山の広場に面している山の斜面の、広場の端から端までの距離と山の中腹までも池端家の所有になる。
その山の斜面には杉が植林されていた。

「昔はこの山のこちら側一面と反対側の一部がうちの所有だったんですけどね。戦後山林事業が一段落してから手放したんですよ。でも……惜しくてね。私の代でこれだけ買い戻しました」

池端は家を更地にした場所を三人に案内しながら説明した。
「土中から出て来た杉の柱はこの山から切り出された木だったんですか?」
中山京子が尋ねる。
「いえ…この辺りの杉は明治に植林されて、今は四代目なんですが、あの杉は調べてもらったら古代杉、ということでした」
「古代杉?」
、と水無が不審な顔をする。
「杉にもDNAがあります。この辺りの杉とは違う、と言うことで約2000年前の杉の木、と言うことでした。ただ、場所までは特定出来ませんでしたけど」
「そんな古い古木から?……」
「柱の中心からDNAのサンプルが取れたそうです。奇跡……でしょうね」

「それで…その杉の柱と出土したと云う人骨は?」
「杉の柱と人骨はまだ役場の方で保管してあります。私が頼んで埋葬は待ってもらってます」
「人骨と杉の木の鑑定は誰が?」
「待って下さい……」
池端は手帳を出しぱらぱらとめくった。
「警察の鑑識は事件性なしの判断だけして、役場に任せて帰りました。……で、それを引き継いだのが……洛北大学の大町裕太教授です。ニュースを聞いて連絡して来たんですよ、調べさせてくれってね。
杉の柱は、一部を大学に送って調べてもらいました。
随分あの骨と杉の木に関心があるみたいでね、骨の埋葬は決まってるんですが、骨と柱を持ち帰ってよく調べたいと言ってるんですよ。その手続きもしていますね。……だけど、どちらにしても待ってもらってます」
池端家の当主の頼みを断る人間はこの村にはいない。
もっとも和壁村に限らないが……県史に出て来る「名家」を挙げれば池端家は必ず出て来る。分家には名の知れた代議士も実業家もいる。
その代議士が唐木の支援者だった縁で池端も教団の支援をしている。

「その教授……大町さんはまだこの村に?」
「ええ、北陽岳の登山口の手前の旅館に、(あれ)以来泊まってますよ。この村がいたく気に入ったみたいでね。あぁ……そうそう、唐木先生の事……ご存知でしたよ。古い(友達)、と言ってましたけど……この場所と、この辺は一通り調べたみたいですけどね、唐木先生に挨拶ぐらいしたいと言ってましたよ」
池端はそう言って笑った。

池端は大町裕太が唐木の知り合いでなかったら、唐木より先に骨と柱が出土した場所を見せなかったかもしれない。
大町はそれを見越していた。
池端六郎が「船の水」の支援者だと言うことは調べて分かっていた。
尤も大町が唐木と「知り合い」、と言うのはあながち間違ってはいない。

中山京子は困った顔をして唐木の顔を見た。
「先生……大町裕太教授って……あの……」
「あぁ……少し……厄介だな…」

「厄介って?」
池端が怪訝な顔をして聞き返した。「大町さんと知り合いではなかったんですか?」

「いや……そうではなくて……実は……」
中山は更に困った顔になり、話し出した。
(どこまで話していいのか?)
大町裕太と教団とは深い付き合いはない、という事だけは知って貰わなければならなかった。

大町裕太。
洛北大学の教授で専門は考古学と神学。
と、言っても洛北大学に神学部はないし、大学側も「大町裕太の神学」の事は把握してはいない。
だいいち、本人も公言してはいない。知っているのは一部の人間と一部の新興教団だけである。
その一部の教団の中に唐木の「船の水」教団がある。

大学側が大町の「神学」がどの様なものか「実態」を知っていたら、教授職としての地位を与えてはいなかったろう。
いや……大学の門さえくぐらせなかったに違いない。

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