Sting
後から考えれば、このときに父親にその現状を相談しておけばよかったものの、麻美さんは突然娘に構い出した父親のことが気に食わなくなったようで、暴力は更にエスカレート。
服を着て見えないところはあざだらけだった。
どうして反抗しなかったのだろうかと後になって振り返ってみても、麻美さんが浴びせる罵声と暴力は反抗する気力をも奪っていたとしか言いようが無い。
日に日に酷くなっていく家の状況に、食欲も気力も無くなって高3になってからは、学校に行くことも嫌になった。家に居るよりはましという理由で学校には行っても、病的に痩せる理由も話せず、友達や爽太をだましているような気がして、学校に行くのも辛くなった。
そんな私を見かねてとうとう父親が麻美さんを問いただして、いろいろなことが明るみに出た。
父親は麻美さんに離婚をつきつけたけど、麻美さんはそれに納得せず、結局8年前の夏に麻美さんは私と父親を刺して、自殺した。
大企業の割りと上のポジションで、アナリストとしても活躍していた父親と、一時はトップモデルとして世間を賑わせていた麻美さん死は、世間を騒がせた。
そのメディアの手は爽太の家にまで伸びた。
誰から聞きつけたのかは分からないけれど、私と爽太が交際していたこと、その爽太は大企業の跡取り息子であること、世間一般の人からしたらどうでも良いことまで記事にされた。
私はどれだけメディアにさらされようと世間から好奇とか同情の目で見られようと、当事者だから構わなかった。
けど、ただお隣の家でただ子供同士が付き合っていただけで、騒動に巻き込まれた紺野家には頭が上がらない。
爽太の家に関して悪いことを書かれたわけではなかったけど、連日の報道に爽太のお母さんは疲れて心労で倒れてしまったと、風の噂で聞いて本当に申し訳なくなった。
当の私は、その頃のことはあまり記憶に無くて、これらは全てあとから聞いたこと。目を覚ましたときは病院に居て、腹部を中心に複数個所刺されたことやそれまで弱っていたこともあって、2ヶ月くらい入院していた。