喪失
明るさの中で目が覚めた。
林のきりっと冷たい空気が、私の肺に流れ込んでくる。
身が引き締まるようなその感覚に、私はぶるっ、と体を震わせた。
「春次郎さん、」
隣で目を閉じる、その人を呼ぶ。
彼の柔らかそうな髪が、朝露で濡れている。
染めたり、ワックスをつけたりしていない、自然のままの髪だ。
さらさらとした猫っ毛。
目を閉じたままの彼を、隅々まで観察する。
その睫毛も、すっとした二重瞼も、こじんまりした鼻も、薄い唇も、すべてが愛おしくなる。
華奢なくせに、並べば小さな私の背をはるかに越してしまう彼。
白いワイシャツがよく似合う彼。
サックスを自由自在に操る、細くて長い指。
彼に触れたい。
だけど、私にはそんな権利はなくて。
結局私は、春次郎さんのサックスのケースに触れる。
年季が入っていそうなケースだ。
いつから、サックスを吹き始めたんだろう。
吹奏楽部だったのかな?
クラリネットも吹けるって言ってたっけ。
彼の吹くクラリネットの音色は、どんな感じだろう。
ソプラノサックスや、テナーサックスも吹けるんだろうか―――
君を、知りたい。
彼の色白の顔を、じっと見つめる。
いつまでもいつまでも、こうしていたかった。
帰りたくない。
帰ったら、また一か月、春次郎さんに会えない。
そのとき、ぱち、と目を開けて。
春次郎さんは、不思議そうに私の顔を見上げた。
「ああ、そっか。」
「おはようございます。」
「おはよう。」
困ったように笑いながら、彼は半身を起こす。
「そうか、ここにすみれを連れてきたんだっけ。」
「はい。」
「ここ、内緒な。」
「え?」
春次郎さんは、優しく笑って、私を見つめた。
「もしかして、君がまた来てくれたとしよう。そして、僕のバンドのメンバーに会うことになったとしても。昨日の夜の僕のことは、内緒だ。」
「はい!」
「内緒だよ?」
「約束します。」
春次郎さんの秘密。
この場所で、ひとりサックスを吹いているという秘密。
それは、バンドのメンバーでさえ、知らないらしい。
その事実を知って、私は舞い上がりそうに嬉しくなる。
「春次郎さん。」
「ん?」
「また会いに来ていいですか?」
「もちろん。」
「また一か月後でも?」
「ははっ。いいか?すみれ。大学の授業には、ちゃんと出るんだぞ。」
「うんっ。」
「約束できる?」
「できる。」
口を尖らせる私に、春次郎さんは大笑いして。
そして、彼は私の目を覗き込みながら、言った。
「待ってる。」
そのもったいない言葉に、涙が出そうになりながら、私はしっかりと頷いた。
離れている間に、彼がこの言葉を、忘れてしまうのではないかと心配しながら。
林のきりっと冷たい空気が、私の肺に流れ込んでくる。
身が引き締まるようなその感覚に、私はぶるっ、と体を震わせた。
「春次郎さん、」
隣で目を閉じる、その人を呼ぶ。
彼の柔らかそうな髪が、朝露で濡れている。
染めたり、ワックスをつけたりしていない、自然のままの髪だ。
さらさらとした猫っ毛。
目を閉じたままの彼を、隅々まで観察する。
その睫毛も、すっとした二重瞼も、こじんまりした鼻も、薄い唇も、すべてが愛おしくなる。
華奢なくせに、並べば小さな私の背をはるかに越してしまう彼。
白いワイシャツがよく似合う彼。
サックスを自由自在に操る、細くて長い指。
彼に触れたい。
だけど、私にはそんな権利はなくて。
結局私は、春次郎さんのサックスのケースに触れる。
年季が入っていそうなケースだ。
いつから、サックスを吹き始めたんだろう。
吹奏楽部だったのかな?
クラリネットも吹けるって言ってたっけ。
彼の吹くクラリネットの音色は、どんな感じだろう。
ソプラノサックスや、テナーサックスも吹けるんだろうか―――
君を、知りたい。
彼の色白の顔を、じっと見つめる。
いつまでもいつまでも、こうしていたかった。
帰りたくない。
帰ったら、また一か月、春次郎さんに会えない。
そのとき、ぱち、と目を開けて。
春次郎さんは、不思議そうに私の顔を見上げた。
「ああ、そっか。」
「おはようございます。」
「おはよう。」
困ったように笑いながら、彼は半身を起こす。
「そうか、ここにすみれを連れてきたんだっけ。」
「はい。」
「ここ、内緒な。」
「え?」
春次郎さんは、優しく笑って、私を見つめた。
「もしかして、君がまた来てくれたとしよう。そして、僕のバンドのメンバーに会うことになったとしても。昨日の夜の僕のことは、内緒だ。」
「はい!」
「内緒だよ?」
「約束します。」
春次郎さんの秘密。
この場所で、ひとりサックスを吹いているという秘密。
それは、バンドのメンバーでさえ、知らないらしい。
その事実を知って、私は舞い上がりそうに嬉しくなる。
「春次郎さん。」
「ん?」
「また会いに来ていいですか?」
「もちろん。」
「また一か月後でも?」
「ははっ。いいか?すみれ。大学の授業には、ちゃんと出るんだぞ。」
「うんっ。」
「約束できる?」
「できる。」
口を尖らせる私に、春次郎さんは大笑いして。
そして、彼は私の目を覗き込みながら、言った。
「待ってる。」
そのもったいない言葉に、涙が出そうになりながら、私はしっかりと頷いた。
離れている間に、彼がこの言葉を、忘れてしまうのではないかと心配しながら。