喪失

それから、それから。

今思うと、どうしてあんなに思い切ったことができたんだろう。


そのサックス奏者の名前は、高梨春次郎(たかなし はるじろう)と言った。

しかし、それが本名かどうかは分からない。

字面が綺麗すぎる気がした。

でも、もし演奏者としての別の名前を持つなら、もう少し違う名前にするんじゃないかな、と思ってみたり。


彼が学籍を置いている、大学も分かった。

私が一人暮らしをしている東京からは、あまり近くない他県のS大学。

親の仕送りだけで細々と生活していた私には、金銭的な問題ですぐに行ける距離ではない。

だけど、早くその人に伝えたいと思ったんだ。

私が、彼の演奏にどれほど心を動かされたか。

どれほど、実際の演奏を聴きたいと思っているか。


そして、私は。

大学宛てにファンレターを書くことにしたんだ。

迷惑になるかもしれない。

でも、大学に送れば、きっと、何らかの手段で彼に届けてくれるはずだ。

その名が、実名である限り。




高梨春次郎さんへ


こんにちは。始めまして。

東京で一人暮らしをしている、大学2年の宮迫すみれ(みやさこ すみれ)と申します。

ご迷惑を承知で、大学宛てにお手紙を送らせていただきました。

受け取る際に、ご面倒をおかけしましたこと、お詫び申し上げます。


私は、音楽に詳しいわけではありません。

吹奏楽をやっていた経験があるくらいで、知識なんてほとんどありません。

でも、高梨さんのサックスの演奏を聴いて、ものすごく感動しました。

音楽を聞いて、こんなに心を動かされたのは、生まれて初めてです。

特に、一番最初に聴いた「ルパン三世のテーマ」は、私にとって衝撃的でした。

あんなに軽快に演奏した人、今までに見たことがありません。

しかも、あの動画が高梨さんの高校生のころのものだと知って、それもまた驚きでした。


高梨さんの才能は、きっと神様が与えてくれたものなのですね。

きっと、将来は名の知れた演奏家として、日本や世界で活躍する人になるでしょう。

これからも、ずっとずっと、高梨さんのことを応援しています。


すぐにライブに行ける距離ではなくて、それが少し残念です。

でも、バイトをしてお金がたまったら、絶対に聴きに行きます！

そして、私もいつか、自分でもサックスを吹けるようになりたいです。


心から応援しています！頑張ってください!!



宮迫すみれ




少し、固い文章だったかな、と思う。

普通、ファンレターってこういうものじゃないだろう。

だけど、私の思いは伝え切れたと思った。


この手紙が、高梨さんのもとに届きますように。

私は祈りつつ、手紙をポストに投函した。