喪失
その人と目が合った一瞬。

その人の目の中に、怒り、嫉妬、悲しみ、切なさ、苦しみ、やるせなさ……、様々な感情を見た。

だけど最後には、穏やかな色に変わったその目。

そして、その人は静かに、私の隣に座って飲み物を注文した。



「久しぶり。」



私は、答えることはできずに、俯いた。

だって―――



「私のこと、恨んでる?」



恨んでるよ。

だって、あなたのせいで。

伝えられなかった。

大事な気持ちを込めた言葉を、何度も遮られた。

今となっては、もう伝えられない、想い―――



「恨んでるよね。」



彼女、円花さんは、自嘲的な笑みを浮かべて。

そして、ふっと泣きそうな顔になったかと思うと、私に深く頭を下げた。



「ごめん。」


「……円花さん……。」


「許してなんて言わない。……ほんとに、ごめん。……春次郎にも、悪かったと思う。」



円花さんのせいにしてはいけない。

大事な言葉を、伝えるチャンスはいくらでもあったのに。

伝えられなかったのは、私に意気地がなかったから。


円花さんは、自分の気持ちをちゃんと伝えた。

円花さんは、私よりずっと、春次郎さんのことを知ってる。

円花さんは、……悪くない。



「私でも、……おんなじことしてたと思います。」


「すみれちゃん、」


「円花さんの立場だったら、……私のこと、邪魔したと思います。」



分かるよ。

同じ人を好きになったんだから。

春次郎さんがいなくなった今、円花さんの気持ちを一番分かるのは、多分私―――



「許さないですけど、それでも円花さんが、春次郎さんのこと好きだって分かってるから、……怒ったりしてません。」


「……うん。」



円花さんは静かに泣いていた。

派手好きな彼女のそんな姿は、なんだか意外に思えた。



「春次郎のこと、知りたい?」


「……はい。」



円花さんは、涙を拭って、私の目を真っ直ぐに見た。

私は少しだけ躊躇して、そして頷いた。



「クリスマスライブの後、春次郎が倒れたの、知ってるでしょ?」


「……はい。」



バスに飛び乗った私を追いかけて、倒れた春次郎さん。

責任の一端は、私にある。



「あの後、私、救急車を呼んだの。彼、病院に運ばれて。……何か処置を受けてる彼を、私は病院でずっと待ってた。」



円花さんは、どんな思いで春次郎さんを待っていただろう。

謝らなきゃいけないのは、私の方だ―――



「何時間か経って、ふらふらしながら彼が現れて。入院だって、そう言ってた。……大丈夫なの、って訊いたら、大丈夫だって。弱々しい顔で、笑って。」



円花さんの顔が、苦しそうに歪む。



「身支度があるからって、彼はその日、家に帰ったの。全部荷物をまとめて、部屋を出たらしくて。……次の日、『starlit night』に呼ばれた私たちは、春次郎から解散を告げられた。……信じられなかった。私たちが、解散する日が来るなんて。だって、高1の頃からずっとだよ。もうすぐ6年経つのに。……大学も、無理して春次郎と同じところに入って、頑張ってきたのに。」



円花さんは、私なんかとは比べ物にならないくらい、苦しいだろう。

共に過ごした日々の重みが、そのまま苦しみとなって彼女の肩にのしかかる。



「春次郎は、それ以来いなくなったの。地元の病院にお見舞いに行ったのに、春次郎はいなかった。どこに行っちゃったのか、分からないの―――」



春次郎さんが、入院したということは分かった。

だけど、それは地元の病院ではないらしい。

それなら、最後に会ったとき。

一体彼は、どこから来たんだろう。

どこに帰って行ったんだろう―――



「私、探します。」


「すみれちゃん……。」


「春次郎さんのサックス、預かってるんです。」


「……え?」


「返さなきゃ。あんなに大事なもの、私が持ってるわけにはいかないんです。」


「春次郎、ほんとにすみれちゃんのことが、好きだったんだね。」


「円花さん……。」


「私負けた!」



円花さんは、泣き笑いのような顔で言った。



「正直、春次郎をこれ以上探そうなんて、思ってなかったし。やっぱり負けだ。すみれちゃんの春次郎に対する想いにも、……春次郎の想いにも。」



円花さんは、グラスのお酒を煽ると、立ち上がった。



「春次郎、見つけてあげて。……あの人、一人じゃ生きていけない人だから。」


「円花さん、」


「お幸せに、なんて言わない。きっと、あの人を探し当てたところで、すみれちゃんは幸せにはなれないから。……だけど、つらくなったら、相談くらい乗るから。」


「円花さん……」


「すみれちゃんの気持ち、私くらいにしかわかんないでしょ?」



そう言うと、彼女は連絡先を手帳の端に書いて、破って渡してくれた。

そして、ひらひらと手を振ると、店を出て行く。



「円花さん、ありがとう!」



背中に向かって言うと、彼女は何も言わずに、扉の向こうに消えていった。
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