碧い人魚の海
 ジゼルは人魚に惹かれているようではあったが、さりとてあの少女を傷つけてまで手に入れたいと思っているわけでもなさそうだった。それよりもむしろ、少女の歌声が聞きたくて、そんなことを思いついたのではないか。アートは、ふとそんな風に思ったのだ。
 窺うように彼女の顔を覗き込むと、彼の憶測を裏づけるかのように、柔らかな微笑みが返ってくる。
「もちろんよ。でも、アーティ、あなた、歌なんて歌えるの?」

「普通に。プロの歌い手ではありませんから上手くはありませんが。幼いころに、母に歌ってもらった子守唄ぐらいなら、歌えますよ。……よろしければ子守唄、あなたにいまお聞かせしましょう。どうぞ聴きながら横になって、身体を休めてください、ジゼルさま。こうしてそばについておりますから」

 ジゼルは彼に促されるまま、横になった。アートはベッドのふちに腰を下ろしたまま、大きな手で包むように彼女の頬に触れ、そっと髪に触れ、それからゆっくりと髪を撫でてきた。
 あやすような、なだめるようなその手つきが心地よくて、ジゼルは静かに目を閉じる。

「こんな風に、ただ髪を撫でられていて心地いいなんて、不思議ね。でも、あなたはきょうはどこで眠るの?」
「ここでこうやって、あなたを見ています。疲れたら、長椅子に移動してしまうかもしれませんが」
「歌ではなく、話をして聞かせて。静かなあなたの声が好きなの」
「話ですか? そんなに話し上手ではありませんよ」

 何の話をするか少し迷ったあと、アートは口を開いた。
「では、子守歌代わりに、しがないブランコ乗りの身の上話でも、少しお聞かせしましょうか。あなたが少しご自分のお話をしてくださったお返しに。ただし、ぼくの話は少々退屈かもしれませんので、よければ聞きながら、そのままお眠りください」
< 133 / 177 >

この作品をシェア

pagetop