碧い人魚の海
 女性は対処を間違えるととんでもない恐ろしいものになるというのは、父が最期に残してくれた教訓だったと思っています。

 そしてぼくは、見世物小屋に行って空中ブランコを始めたんです。といっていきなり空中技はできませんので、まずは頼みこんで、ブランコ乗りの親方に弟子入りを果たしました。
 親方というのがまた、昔堅気のなかなか厳しい人だったのですが……」

「そこ、つながらないわ」
 それまで大人しく黙って聞いていたジゼルは、不意にアートの言葉を遮って指摘してきた。
 彼女が瞼を開く感触を手のひらに感じ、アートはその手を目元から額にそっと移す。
 彼女はやはり目を見開いて、アートを見上げてきた。
「どうしてまっすぐ見世物小屋に行ったの?」
「……いま、お話しします。また少し、時間がさかのぼりますが」
 アートは苦笑し、話を続ける。

「奴隷商人の館で、ぼくは一人の少女に出会いました。ありていにいいますと、ぼくはその女の子に恋しました」
 その説明が的確なのかどうか、アート自身にもわからなかった。理由もなく心が動いたことだけが事実だ。だが、理由づけがあった方が目の前の女性には理解しやすいのではと思い、恋心だと、そう説明する。

「彼女はぼくと同じころにそこにやってきたのですが、買い手もなく何日もの間、館の中をぶらぶらしていたぼくと違って、彼女にはすぐに売られていってしまいました。でも、最初の日と次の日ぐらいに、たくさん話をしたのを覚えています。年が近かったことと、住んでいた町がたまたま隣どうしだったことで意気投合したのもありました。商品として1階の店に降ろされるときに何人かの同じ年頃のものたちと一緒に同じブースに置かれていたので、話しやすかったのもありました」

 ジゼルに誘導されて語り始めた形になった少女の話だった。けれども、話しながらアートは、自分が本当に彼女に聞いてもらいたいのは、継母の話でもなく兄の話でもなく、この少女の話であったことに気づく。

「すんなりとした手足の、ほっそりとした少女でした。そばかすがあって鼻が低くて口は大きめだったけど、素朴な雰囲気を持っていて、笑うととてもキュートでした。亜麻色の長い髪が自慢で、大事に手入れしていました」
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