碧い人魚の海
 できる、と言い返したくてルビーは口がむずむずした。だって見世物小屋のみんなは、昼夜を問わず、観客のいない所でも、地道に鍛錬を積んでいるのだ。怪力男だって、箱女だって、いっぱい訓練して、練習して、技のレベルを維持しているのだ。
 ブランコ乗りだってそうだ。命がけの空中技を、誇りを持てないなどと一刀両断されては立つ瀬がない。
 が、肩にかかる貴婦人の手は、少しだけまた、ルビーを後ろに引き寄せる。
 見上げると、やはり貴婦人は口元に楽しげな微笑みを浮かべている。

「隊長さんは、逃亡した奴隷についてはいかがお考えでしょう。あなたのおっしゃる”賤しい職業”に好んで従事していたとお考えですか?」
「それは……」
 髭男は少し考え、答えた。
「好んでいたら、逃亡はせんでしょうな。しかし……単に奴隷でいるのが嫌になっただけかもしれません」

「カルナーナの警察は、非常に優秀であると聞き及んでおります。ハロルド・レヴィンが捕えられるのは時間の問題でしょう。ですけれども、もし彼が、好んで芸人をしていたのではないとすれば、彼には情状酌量の余地があるということにはなりませんか?」
「それは……なんとも……」
「ハロルドは自分で職業を選択できません。”賤しい芸人”をやめたいと思っても、きっと逃げ出す以外道がなかったのですわ」

「し……しかし……」
 髭男は口ごもりながらも反論を試みる。
「失礼ながら、奥さま、いまと昔では事情が違います。違法な手段を取らなくとも、合法的に自由市民の権利を獲得できる道はあるはずです。それを怠って、楽に自由を手に入れようとするものが我が物顔にのさばり始めると、国の治安が乱れかねません」

「ハロルドは10年間見世物小屋にいたそうですわ。警察の方たちは彼の交友関係を洗ってらっしゃるそうですが、彼はそんなに外に出歩いていたのかしら? 飲みに出たことが? 買い物に? 誰かに会いに?
 ハロルドがここを訪れるのは、他のみなさんと一緒にこちらがディナーに招待さしあげたとき、座長さんに伴われての訪問だけですのよ? 自分から訪ねてきたことは一度もありません。彼は、見世物小屋の外で散財している様子はないのではありませんか? だからさほどの交流のないわたくしのところを、座長さんは思いつかれたのでは?
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