碧い人魚の海
 彼がずっとつつましく暮らしてきたのでしたら、8年前の法改正のときからもらっていたはずの賃金を貯めて、自由を買い取ることも可能だったのではないでしょうか? なのに彼は、どうして逃げたのでしょうね」

 貴婦人はさも不思議そうにそう言って、首を傾げた。
「隊長さん、もう一度質問してもよろしくて? カルナーナには果たして、身分違いの恋は本当に存在しないのかしら? どうお思いになられます?」
「う……それは……」
 髭男は、ますます言葉に詰まる。

 代わって隣に控えていた副長が、貴婦人の言葉を受けた。
「奥さま。あなたはご自分がハロルド・レヴィンと恋仲であると、そうおっしゃられてるのでしょうか?」
「いいえ、まったく」
 貴婦人は首を横に振った。
「そんなことは申しておりません。彼はよき友人の一人です。ですので、友人としてお願いがありますの。彼が本当に自由になる権利を持たなかったのか、持たないのでしたらなぜなのか、彼のお給料はどこに消えたのか、きちんと調べていただけませんか?」
「しかし……それは、わたしどもの管轄ではありません」
 髭男は、ハンカチを取り出し、額の汗をぬぐった。

「カルナーナは自由と平等の国なのでしょう」
 確かめるように、貴婦人は問いかける。
「それとも、共和制元年の式典で詠われたという建国の辞は、おためごかしなのかしら?」

 たじろぐ髭男に代わって、横から副長が答えた。
「わかりました、奥さま。納税管理課に調査依頼の書類を送っておきます。しかしながら、わたくしからも、一つ忠告させていただきます。奥さまがそのように、逃亡奴隷に対する擁護とも取られかねない発言をされると、せっかく晴れた疑いを、またかぶることになりはしませんかね。奥さまは、ハロルド・レヴィンの逃亡に、本当に関与されてないのですか?」

「そうですね」
 ルビーの見上げる貴婦人の口元がまた、楽しげにほころんだ。
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