碧い人魚の海
「そういえばだね、ロガールくん、見世物小屋といえば……」
 眼鏡男は、不意にブランコ乗りに話を振る。
「レイ・フランチェスカ・マルティーネは元気かね。ああ、いまはレイラと名乗っているのだったかな」
 ブランコ乗りは、いぶかしげに眼鏡男を見た。
「レイラがどうかしましたか?」
「いや、知り合いの愛人だったころの彼女をわたしは、少々知っているものでね。わたしの知り合いにちょっとした物好きがいて、彼女の面倒をみていたんだが、彼女は独立したいと言い出して、その者のところから町に出て行ってしまった。しかし、結局きちんと独立はできなかったようだったね。見世物小屋の世話になるぐらいだったら、知り合いのところにいた方が、好きなだけ舞いも舞えて、いい暮らしができていたと思うんだが……」

 思わぬところで舞姫の名前を聞いて、ルビーは少しびっくりする。
 気さくでさっぱりしていて、けれども面倒見のよいところもある舞姫とは、貴婦人の夕食に一緒に呼ばれたことがきっかけで親しく話をするようになった。ルビーが見習いに格下げになってからの何日かの間、同じ部屋に泊めてもらって、服も貸してもらった。ずいぶんと世話になった。
 舞姫は座長からもう、ルビーが貴婦人に売り渡されてしまったことを聞いているだろうか。心配してくれているのではないだろうか。

 ルビーは売られて、ナイフ投げはいきなりどこかに逃亡して、ブランコ乗りは興行を休んでここにいて、舞姫はいま、見世物小屋で一人かもしれない。彼女は、ナイフ投げの逃亡について、彼から事前に何か聞かされて知っていたりするのだろうか? そう思い至るとともに、見世物小屋の座長や警察の人たちからも同じように推察されて、厳しい追及を受けているのではないかと、ふと気になった。

 眼鏡男は舞姫を、知り合いの愛人だったと言った。
 好きな人とだけ寝るべきだよ、と言った舞姫の言葉をルビーはよく覚えている。あれは自分の体験とその悔恨に基づいた言葉だと、聞いたときに何となく思った。
 眼鏡男の知り合いだという人との決別も、いまの生き方も、舞姫は後悔していないだろうし、自ら選びとったものだという自負もあるようにルビーには感じられる。
 でも、目の前の嫌みな眼鏡男も、さっきの髭男と同じように見世物小屋に対しては否定的なのだ。
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