碧い人魚の海
 ブランコ乗りは剣を構えた男を一瞥すると、少年から取り上げた剣を構える代わりに、無造作に部屋の一番遠くに放り投げた。
 それから向き直って、静かな声で尋ねた。
「王家の血を引くあなたが、丸腰の無抵抗の国民を斬りますか?」
 相手が斬りかかってこないと思っているのか、それとも斬りかかってきてもよけられる自信があるのか、白刃を目の前にしながらも、落ち着き払っている。

 眼鏡男の顔に冷笑が浮かんだ。
「身の程知らずめ! 虫けらの分際で、カルナーナの国民を気取るか? もちろんわたしにはおまえを始末する理由はあるとも。わたしの大切な婚約者を甘言で籠絡し、なぐさみものにした罪は、死で贖ってもらう以外考えられないからね」

 狂人の言い草だった。
 言うなり眼鏡男は、鋭い動きで刃を振り下ろした。
 まともな会話が通じる気がしなかったせいか、だれがだれの婚約者なのか、という突っ込みをそこで入れる者はいない。

 言葉は狂人でも、身のこなしは機敏な軍人のものだ。
 鮮やかに繰り出される剣さばきを、ブランコ乗りは持ち前の身軽さで左右にかわしながらも、じりじりと部屋の隅に、さっき彼が剣を投げ捨てた場所まで追い詰められていく。

「剣を取ったらどうだ? 下郎」
 眼鏡男は見下した表情で、冷やかにブランコ乗りを見た。
「丸腰の相手を斬るのは手ごたえがなさ過ぎてつまらん。それとも剣など握ったこともないか?」

「アーティ! 右!」
 不意に貴婦人の叱責が飛んだ。右側から少年が転がって来て跳ね上がり、猿のように歯を剥き出して飛びかかったのだ。
 めくれ上がった唇から剥き出した犬歯が、ためらいもなくブランコ乗りの喉笛を狙う。目をカッと見開いた獰猛な表情は、さっき頬を紅潮させていた少年とは、別人の顔だ。

 ブランコ乗りは、軍人が同じタイミングで繰り出す鋭い切っ先をすんでのところでよけながらも、ぶんと腕を振り回して少年をなぎ払う。
 手加減する余裕はなかった。
 少年は激しく壁にぶつかって、ゴムまりのように跳ね返り、もんどりうって床に転がった。
 その音と、ほぼ同時に。

 バン!

 音を立てて開いたのは、廊下につづく両手開きの大きなドアだ。
 屋敷の警備兵が4人。
 その後ろには、少し前に退出したばかりの給仕係が、困惑顔で控えている。
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